2015年5月29日金曜日

『愛の法則』の出版

 『魂の法則』の続編、『愛の法則』が2015年5月22日に出版されました。

2015年3月17日火曜日

質問箱 Q&A

『魂の法則』・『愛の法則』の内容についてご質問がございましたら、コメント欄またはtamashiinohousoku@gmail.com にお問い合わせください。多くの方々と共有できる質問であれば、著者ヴィセント・ギリェムさんが(ときにはイザヤの力を借りて)Q&Aで、できる限り回答します。

2015年3月9日月曜日

『愛の法則』PDF

『魂の法則』の続編『愛の法則』はこちらでダウンロードいただけます。
→ 愛の法則PDF  近いうちに、製本としてお届けできることを願っています。
 

  *追記: 2015年5月に出版が決まりました!

http://bit.ly/18sVmT0


これは、皆さんに贈る愛のメッセージだ。

本書が、自分の感情についての理解を深める一助となることを願う。
そうして、真実の愛の感情と偽物の愛の感情とを見分けることができるようになってほしい。真実の愛の感情だけを育んで、愛を装うエゴ的な感情を排除していく役に立てればと思う。なぜなら、それが幸せになれる唯一の方法だからだ。
愛することへの怖れを手放し、心で感じる通りの人生を生きてほしい。
僕たち一人ひとりが、誰にも侵害されることのない、自由に愛することができる権利を持っているということが、この本を読み終わった後で、はっきりと理解してもらえればとても嬉しく思う。
すべての愛をこめて。
                                         ヴィセント・ギリェム

 

著者、ヴィセント・ギリェムは、スペイン、バレンシア大学で化学博士号を取得後、がん遺伝子の特定に関する研究をしている。週末は全国講演を行うなど、無私無欲に活動している。本書「愛の法則」は、「魂の法則」の続編にあたる。


 

2015年3月3日火曜日

33 おわりに / あとがき

 僕は感動のあまり感極まっていた。周りの人びとも僕と同じほど衝撃を受けているのがわかった。短い時間に、あまりにも多くの強い両極端な感情を経験したからだった。
 円を組んでいたガイド役たちは、輪を解くと守護している人たちの元へ戻って行って、この強烈な体験から立ち直れるようにとエネルギーを流してあげていた。それから、皆すぐにそこからいなくなってしまった。
  
 「君も戻る時間だ」と、イザヤの声がした。
  
 そして強くグイッと引かれたかと思うと、ドンと身体の中に放りこまれていた。けれど、すぐには目を覚まさないで、硬直した状態のまま寝ていた。

 「目が覚める前に、少し話をしよう。君が覚えていやすいように、このままでいい」

 「あの人たちはどういう人たちなのですか?」と僕は質問した。

 「君と同じような人で、この世に転生している魂たちだよ。そしてその付き人たちは、彼らを助けている霊界の兄弟たちだ」イザヤが答えた。

 「皆、とても衝撃を受けていました」

 「そう、君もだ。この世の者にとってはインパクトが強過ぎるので、多くの者がこの経験を覚えていられないかもしれない。だが、潜在意識ではちゃんと覚えていてくれて、考慮に入れてくれるのだ」

 「僕たちが見たのは何なのですか?」と、訊いてみた。

 「君たちが見たのは、君らの世界の二つの異なる未来の可能性だ。最初のものは、人類がエゴに翻弄された場合の未来の可能性だ。そして二つ目のものは、愛を選んだ場合に待ち受ける未来だ」

 「それなら、まだこのどちらも実際に起こってはいないし、起こる必要もないのですね。最初の未来の可能性になってほしくないので、訊くのですが」

 「その通り。まだ、このようなことは何も起きていない」

 「僕たちが見た二つの未来の他に、もっと別な可能性もあるのでしょうか?」
 
 「そうだ。君たちが見たものは、ポシティブなものとネガティブなものの両極であり、その中間の状況も存在し得る。だがどの状況も最終的には、このどちらかの可能性に辿り着く。もちろん、一夜にして実現することではないのだが、長い目で――一つの転生以上のスパンにわたって――未来図を把握しておくことが好ましい」

 「では、どういう人たちがこのような未来の可能性を見ているのでしょうか?」

 「霊的に成長したいと願っている人たちだ。今日集められた君たちと同じように、転生している多くの者が夜寝ている間に守護霊に連れて行かれて、未来についてのこのような映像を見せられているのだ」
 
 「どういう目的でですか?」

 「自分たちの行為が全世界に及ぼす結果に気づくことができるように、君たちの内面を整えるためだ。そうして君たちが原因を知ることができれば、エゴの側か、それとも愛の側か、どちらにつきたいのかを決めることができるだろう」

 「最初の可能性を体験したい人はいないと思いますよ」

 「もちろんだ、誰も苦しみたくはない。利己的に振舞う者たちはいつだって、絶対に自分たちの行いの結果で苦しむことにはならないと思っている。我々が君たちに理解してほしいと思っていることは、すべてが繫がっているということで、君たちが他の人にすることは、遅かれ早かれ、いずれ君たち皆に跳ね返ってくる、ということなのだ」

 「でも、なぜこの未来図なのでしょうか? とても憂慮すべきものです」

 「それは、君たちの惑星の一部の極度に利己的で破壊的な力のある者たちが、人類全体の生存を脅かすようになっているからだ。君たちは彼らの破壊に手を貸すのかね? それともその反対に、それを阻止するために尽くすのかね? それはすべて、君たち次第なのだよ。君たちの自由意志によるのだ。今生か、あるいは今後の転生で、君たちはどちらの側につくのかを選ぶことになる。地球の運命は、君たちが握っているのだ」

 「僕たちが地球の命運を握っているだなんて、あんまりです。責任が重過ぎます! 誰だって、勘弁願いたいです」

 「地球の将来というものは、一人の人間にかかっているのではなく、何百万という人によるのだ。各人が少しずつ、愛あるいはエゴに基づく行動で参加することで、世界は多少良くなったり悪くなったりするのだ。もっとも、善または悪を成す能力と意志の力に応じて、他の人よりも大きな(あるいは小さな)害を及ぼしたり、多くの(あるいは少ない)愛を与える人はいる。
 これは、綱引きでの力くらべに似ており、二つのチームがそれぞれの綱のはしを持ち、真ん中に結びつけたハンカチを自分たちの方に引き込もうとしているようなものだ。君たちが選ばなくてはならないのは、どちらのはしを引きたいのかを決めるということだ。エゴの側か、愛の側か。この場合では綱引きのハンカチが、君たちの世界の未来に匹敵する。愛のチームに加わる選手が増えれば増えるほど、地球の未来が愛に変わる可能性が増すのだ」

 「で、勝負は今のところ、どうなっていますか?」

 「上手くいっていると答えたら、君は安心してしまうだろうし、不利な形勢だと言えば、がっかりしてしまうだろう。君はどんな調子だと思うのかね?」

 「やっぱり! 教えてもらえないだろうと思っていました。僕は、今のところはまだエゴが優勢だと思うのですが、人びとは現状では物事が上手くいっていないことに気づき始めていて、チームを乗り換え始めています。つまり、以前はエゴの側を引っ張っていた人たちが、今は変わって愛の側を引くようになっていると思います」

 「そう、それに片方のはしを少し引っ張ってみたかと思うと、次は別のはしを引いてみたりと、自分の都合に合わせてやっている人もいるね、はっはっは」

 「これは、冗談にして笑えるようなことではないと思いますよ」

 「冗談にしているのではなく、ただ君の緊張を解いてあげようと思ったのだ。今日体験したことで、身がすくむほどの衝撃を君が受けたように感じ取れるからね。だが、心配することはない。さあ、そろそろ、別れの挨拶をせねばならない」

 「もう行ってしまわれるのですか?」

 「もう家に戻らねばならない。君とここにいるのもいいが、あちらはずっと居心地がいい。でも、またすぐに会えるから、心配には及ばない。弟の君に愛を送ろう! 家族の皆にも、よろしく伝えてくれたまえ。もうわかっていると思うが、全人類という我らが愛する家族のことだ」
 



著者のあとがき


 見返りを求めないという無条件の愛の趣旨にふさわしく、この本がすべての人に無私の志で届いてくれることを切に願う。
 そのため、内容を変更せずに営利を目的としないのであれば、本書を自由に取り扱ってくれてよい。すべてのメディアでの全体あるいは一部の複製をこの場で許可し、その活動を後押しするものとする。
 皆の協力によって、輪が広がっていくことが僕の願いだ。霊性や愛のテーマに関しての質問があれば、それが個人的なものでも一般的なものでも気兼ねなく訊いてもらえれば嬉しいし、可能な限り返事をしたい。
 一般の関心事で役に立ちそうな貴重なものは、共有していくつもりだ。本書『愛の法則』は『魂の法則』の第2編に当たるが、前作の読者から寄せられた質問も取り入れてある。
 また、できるだけ多くの人びとにメッセージが行き渡るように、本書を他の言語に訳してくれる、私心なき人たちの協力もお願いしたい。
 話を直接聞きたい人の数がある程度まとまって、君の町や村に僕たちに行ってほしい場合は、遠慮なくそう教えてほしい。君の町や村が、他の国や別の大陸にあっても構わない。僕たちのできる範囲で、要望に答えたい。
 講演会での依頼者側の費用負担は心配ない。完全に無私無益の活動なので、旅費や宿泊費も僕たちが持つ。誰でも興味のある人が、自由に無料で参加できることが条件だ。

 君に、僕の愛のすべてをこめて。いずれどこかで会えるときまで


  

2015年3月2日月曜日

32 おわりに

おわりに


 ある時イザヤと話していると、「今日は弟の君に見せたいものがあるので、身体から抜け出てもらいたい」と言われた。
 

 そのとたんに僕は体外離脱をしていて、イザヤによく案内される例のたいそう美しい場所のガラスのピラミッドの一つに、超スピードで送り込まれていた。それから、円形の劇場のようなところに連れて行かれた。その真ん中には丸いステージがあって、周りを座席が取り囲んでいた。ステージの中央には台のようなものがあり、その上に磨きあげられた大きな透明な石が載っていたが、それは水晶のようだった。

 「好きなところに座りなさい」とイザヤが言った。

 後からは、僕のように付き添いのいる人たちが何人も入ってきて、座席を埋めていった。その人たちは僕と同じ人間で、付き人たちは、ローブをまとった姿とその輝くオーラから、ガイド役の霊たちと思われた。皆、僕のように座っていったが、ガイド役たちはイザヤと同じように中央に進み出て、石を載せた台の周りで、手をつないで円形を組んだ。そうするうちに室内の電気が暗くなっていって、ほぼ消えた状態になった。
 見ていると、水晶のガラス面がだんだんと光り始め、突然、その光が射るように天井に撃ち上げられた。どういう仕組みだかわからないが、それによって中央の丸いステージの部分全体が明るく照らされ、光り輝く筒型となった。それから、その輝く筒はどんどんと大きくなっていって、皆をその内部に取り入れるように、室内の僕たちを包み込んだ。

 「怖がる必要はない。何も危害は及ばない。これから見るものに注意を払いたまえ」という声が頭の中で聞こえた。光が徐々に弱まり、映像が見え始めた。それは立体映画と似ていたけれど、真に迫っていて、本当にその中にいるように思えるほど、すごくリアルだった。画像も完璧だったので、実際にその場所にいると断言できるほどだった。

 画面に、多くの聴衆を前に演説をしている政治家らしき人たちが現れ、熱狂した群衆は拍手をしたり何やら叫んだりしていた。話している言葉はわからなかったが、考えていることは読むことができた。政治家たちは、別の存在たちから指示されていたのだ。姿は見ることはできなかったが、彼らはダークな存在で、話している政治家たちに暗い波動を送っていた。戦争を始めるようにと、そそのかしていたのだ。
 政治家たちが話をすると、それにつれてその暗い気の流れは、霧のように群衆へと広がっていって皆を染め、人びともこの薄暗い霧まみれになってしまった。怖れ、憎悪、狂信の大きな流動を感じ取り、僕は強い衝撃を受けた。

 それからその映像は消え、今度は軍隊が行進している様子が見えた。次に、飛行機、戦車、戦艦、歩兵戦闘車、ミサイル発射機などがフル回転している画像が映り始め、機関銃を手にした兵隊が戦闘準備を始めていた。そのうち爆弾が投下されだし、落とされていく先々では、爆撃がすべてを破壊していく。
 僕たちは、男の人も女の人も子どもも、多くの人びとが死んでいくさまを見せられた。中には、弾丸に蜂の巣のように射抜かれたしまった人も、爆弾で身体の一部が吹き飛ばされてしまった人も、焼け焦げになってしまった人もいた。また、兵士たちが女の人たちを力づくで平然とレイプし、その後で情け容赦なく殺していくのを見た。囚人たちは、殴られ、拷問されて殺されていった。町や村や畑は破壊尽くされ、至るところに死体という死体が散乱していた。

 本当にその場で起きているみたいに思えたので、それは僕が生涯で経験した最も恐ろしい出来事だった。僕だけでなくその場の皆も、全員がショック状態だった。そのうち、飛行船に乗せられて急上昇したかように、いつしか上方からすべてが崩壊していくのを眺めていた。
 ミサイルが空から注ぎ、そのうちの一つが大きな街に的中するのを見た。凄まじい轟きと共に、爆風の火玉が息を呑むような破壊力で燃え広がり、すべてを焼け尽くし、そこからもうもうと立ち上る埃は、巨大な雲となった。焼け野原と成り果てた領域の広さは測りかねたが、それは巨大だった。

 しばらくすると、その爆発からかなり離れた地面の上に戻されて、そこから雲の形を見てみることができた。広島や長崎の原子爆弾のきのこ雲と同じものだったが、もっと威力が強く破壊的な爆音に感じられた。そして、それと同様な原爆があちらこちらで炸裂するのが見えた。
 それは、地獄のような光景だった。場所によっては、すべてがなぎ倒されてしまい、全く何も残っていなかった。何もかもが灰燼に帰してしまったのだ。廃墟が残っているところもあったが、ずたずたになった遺体がそこら中に転がっていた。ボロをまとった憔悴しきった生存者たちは、爆心地から逃げようとして、あてもなく彷徨っていた。映像はそこで終わった。

 それから別の映像が始まると、地球のどこかで大地が揺れ出し、沢山の亀裂が走るのが見えた。相次ぐ大地震で、かろうじて残存していた物も崩壊してしまった。あちこちで火山が爆発し、どこかしこでも溶岩が、荒廃しきった地面をさらに焼き尽くしながら流れていった。また、言葉にできないほど大きな地響きも聞こえた。そこの大地は、陥没しつつあったのだ。
 僕たちは同時に、さまざまな場所のビジョンを見せられたが、どこでも同じような天変地異が起きていた。沈没する陸地によって周囲の海の波はそそり立ち、巨大な津波と化した。津波がまだ沈んでいない大陸の沿岸に達すると、すべてのものが飲み込まれていったが、それは測り知れないほどの域にわたっていた。海にどっと流れ込む溶岩で莫大な水蒸気がたちこめ、空は瞬く間に厚い雲に覆われてしまった。そして、凄まじい嵐と暴風雨に襲われると、日の光は消え失せてしまった。

 その後、僕たちは地表から少しずつ離れていき、宇宙から地球全体を眺めるに至った。暗澹たる光景だった。青い海も緑や褐色の大地も、白い雲さえもそこにはなかった。どんよりとした灰色の大気に覆われた球体で、大地さえも垣間見ることができなかった。僕たちの地球のそのような運命を見るのは、何と悲しかったことか!
 ビジョンはそこで終わった。筒型のスクリーンは、再び部屋の中ほどまでに縮小して消えた。そして劇場の照明はまた明るくなったが、そこにいた僕たち観客は皆、ショックから抜け出せないままだった。

 ガイド役の一人が部屋の中心へ歩み出て、ガラスの水晶を取り上げると、それを別のものに変えた。我に返る猶予も与えられないまま、前と同じように筒型のスクリーンが作動し出し、僕たちはまたもやその立体映像の中に取り込まれた。

 ダークな存在にネガティブな波動を送られながら戦争を鼓舞する演説をしていた、以前と同じ政治家たちが現れた。だが彼らは、今度はそれをテレビ局から行っていた。テレビを通して、他の国々と戦争を始める決定を伝えていたのだ。でも、人びとの反応は前とは違っていた。集会を行ってはいたが、今度は好戦的な政府を支持するためではなく、政府に対して抗議をするためだった。
 大規模なデモが繰り広げられ、政府は軍や警察に命じて、市民を取り締まりデモを鎮圧しようと懸命だった。しかし、軍も警察も市民の弾圧に加担することを拒否し、抗議運動に加わった。躍進する市民革命に政府は転覆させられ、政治家たちは逮捕されて投獄された。戦争に突入しようとしていた国々では、どこでも同時に似たことが起きていた。

 それから、かつての政治家たちとは全く異なる印象を与える人たちが登場した。彼らは、明るい波動を送る光の存在たちに付き添われており、市民にもその波動を伝えていた。謙虚さと冷静さが伝播し、平和と愛を伝える光の輪が波及していくのがわかった。新しい指導者たちは、暴力的な活動の一切を禁じ、人類が新たに進むべき道を決めるために一種の国際議会を設立した。
 次のビジョンでは、戦闘用の機械がすべて解体されて溶かされて、軍も解隊されると、世界を大戦の淵に追い込もうとしていた者たちが裁判にかけられた。そして僕らは、この英断の後で――それがどのくらい後のことなのかはわからなかったが――地球に起きた変化を観てみることになると、テレパシーで告げられた。

 何もかもが良い方向に変わっていた。市民の日常生活からは、戦争も紛争も、貧困や階級の差もなくなっていた。人びとは調和を保ちながら暮らし、幸せ一杯の顔をしていた。そこで映像は、先程と同じく宇宙から眺めた地球の姿を映し出すと、終了した。
 初めのものとは、なんと対照的な眺めだったことか! 前とくらべて、地球がどれほど美しく見えたことか!

 筒型のスクリーンは、再び部屋のステージの大きさに縮まり、そして止まった。

2015年2月27日金曜日

31 イエスの地上での使命 ―その2―

*イエスが新たに転生するかについて話していたので、彼の再来を予告しているらしい黙示録のことを思い出しましたが、その見解は正しいのですね。

 ああ、そういうことだよ。

*でも黙示録では、地球の未来におけるさまざまな事象についても予告をしていますが、その多くが破局的なものです。そのような予言は的を得ているのでしょうか? この件について、少し説明していただけないでしょうか?

 前にも言ったと思うが、黙示録というものは、起こり得る地球の未来のヨハネによるビジョンの一つに過ぎない。ヨハネはその中で、地球で起こる可能性のある一連の事象――あるものは人間によって引き起こされ、他のものは自然の地質的変化の結果であった――と、その時期に人類が経験する事件や変革を見ることができたのだ。そして、彼はそれらを自分の能力の範囲内で、その時代の人たちに伝えようとした。
 全部の事象を一遍に伝えているので、すべてがあっという間に起こるという印象を与えるが、実際にはこれらの物事は千年単位の長い期間に及んでおり、最終的には人類の霊的な進歩が起こるのである。
 その時に、人間は、自分たちがどこから来てどこに向かうのかをはっきり知ることができ、人類よりも高次の存在がいるということを発見するだろう。神を筆頭に(ロゴス)キリスト、イエス、それに君たちの見知らぬ存在や名のない者たちが、人間を愛し、その霊的な成長と幸福とを見守ってくれていることに気づくことになる。

*黙示録ではキリストの再来を告げると共に、反キリストの王国のことにも言及していますが、反キリストはいるのでしょうか? これから生まれ変わるのでしょうか? それはいつでしょう?

 悪において全能な者などは存在しないと話したと思うが、害を及ぼそうという明確な目的意識で生まれてくる魂などもいやしない。悪いことをしてしまうことになっても、霊的なミッションのようにそれを目的にしているわけではない。どんな魂であろうとも、あらかじめ悪い意図を持って転生することなどないのだ。そうではなく、霊的に進化していないがために、生まれ出ると自分のエゴの衝動につき動かされて、悪に傾倒してしまうことになる。
 したがって、君たちが、反キリストという存在が極悪で、世を破壊してキリストやその支持者をやっつけることを目標にして生まれてくると思っているのだとしたら、そんな者は存在しないと言っておこう。

 
*反キリストが存在しないのだとしたら、黙示録ではどういう意味でこの言葉を使っているのですか? それとも、これも文書が改ざんされたせいなのでしょうか?

 ヨハネには、未来で起こる物事が、愛に反する利己的な価値観に支配された人類の巨大なエゴのせいに見えたということだ。またメッセージの一部は、後世に簡単に改変されないように隠語で伝えられている。
 こう考えれてみれば、反キリストという者は、未進化の人間の利己的で野心的かつ無慈悲な面を表した象徴的な存在ということになり、そのために兄弟たちに多大な害を与えてしまうのである。つまりそれは、エゴが人格化したものなのだ。
 また反キリストの王国というのは、エゴに支配された世界を表している。我々がキリストの教えを無条件の愛だと受け取るのであれば、反キリストとはキリストと反対のことをする者であり、愛と真逆の者のことなのだ。

 
*では、皇帝ネロやナポレオンやヒトラーなど人類に大きな痛手を与えた人物たちは、反キリストだったのですか、それともそうではないのですか?

 反キリストというレッテルを貼られたこれらの人物は、たいそう利己的な者たちで、野心や権力への野望につき動かされて、人類に多大な被害を及ぼした。だが彼らのような者は、歴史上には幾らでもいた。現在でも存在しているし、エゴが世の中で幅を利かせている限り、これからも存在し続けよう。世間の目にもっと重々しく怖く映るかもしれないだけで、彼らをどのような名で呼ぼうと、今より善くなるわけでも悪くなるわけでもない。

 
*黙示録に出てくる世の終わりというくだりは、2012年に人類の大惨事が起こるとしているマヤの予言を彷彿させるのですが。

 君は、西洋人がマヤの記録にそう書いてあると思いたい、と言いたいのだろうね。なぜなら、マヤ族の子孫にそのことを訊いてみるなら、そんなことはない、と答えるだろうよ。

 
*でも2012年には、人類を滅ぼすことになる天変地異とか第三次世界大戦の開始とか、何らかの終末的な出来事が起こるのでしょうか? 
 

 2012年には、そういったことは何も起こらない。自然災害は、今までと同じような頻度であり続けるだろうが、そのどれも、地球環境を破壊させるほど甚大なものではない。君たちは自然災害のことをすごく心配しているが、それらは君らには防ぎようがないだろう。それなのに回避可能な、人間の仕業である戦争や残虐行為などの事象については、ほとんど気にかけることがない。
 残念ながら君たちの世界で頻発している紛争は、現在とほぼ同じような傾向で継続するだろうし、愛についての意識が変わらない限り、この状況は続く。だが今のところは、地球や人類を破壊するようなことは何も起きない。

 
 思い起こしてみれば20世紀の終わりにも、ノストラダムスの大予言に基づく似たような強迫観念があって、世紀末から21世紀にかけていろいろな大惨事が起きると予告されていた。だが、2001年になっても、何も起きなかった。些細なことをおおげざにしたのは、多くの人びとの狂信や妄想や無知である。このようなお粗末な占いを信じてしまう人たちは、霊的進化という真に大切なことに集中できなくなり、恐怖や幻覚の狂気に囚われてしまう。
 先にも言ったが、近く到来する変化の根本的なものは霊的なもので、これは特定の年や日付に限定されるものではなく、何百年にも及ぶ時代を包括するものなのだ。2012年にこの世が終わると思っている者たちは、大いに失望するであろう。

 
*それから、世界のさまざまな場所で終末感が漂う超常現象が起こって――ルルドやファティマにおける出現のことです――大きな反響を呼びましたが、そこには真実の部分もあるのでしょうか?
 
 本当なのは、霊媒能力を持つ人と直接交信してメッセージを伝えようとする、霊的な存在がいるということだ。メッセージは個人的なものもあるし、全体に及ぶもののこともある。
 通常はそのような出現があっても、体験者に分別があり、その現象を言いふらせば精神異常者にされるのがおちだと知っているので、あまり大きな騒ぎになることがない。だがルルドとファティマのケースでは、それを見たのが子どもたちであり、彼らが目撃したことを自然体で話したために有名になったのだ。

*ルルドとファティマの場合に出現したのはマリア様だったと言いますが、それは本当ですか? どんなメッセージを伝えたのでしょうか?
 

 いや、現れたのは聖母マリアではない。もっともこれは、どちらでもいいことである。だが、女性の姿を借りて現れた高次の霊であったというのは確かである。
 もっとも、マリアだと名のったわけではない。名のることは滅多にないし、名前を言ったとしたなら、それは総称なのだ。それが聖母マリアだということになったのは、子どもたちが教えられた信仰の人物と結びつけたからか、そのヴィジョンの後で、大人たちがそれをマリア様だと子どもたちに思い込ませてしまったからである。
 もたらされるメッセージは一般的にとても明確で、人間が進化するためにこの世に存在していることや、エゴを解き放ち愛する能力を発展させねば進化ができないことなど、我々が話している内容に沿っている。また時には、個人や集団としての利己主義が将来全体的に引き起こすことになる、戦争などの未来の危険性についても警告する。

 だがこのようなメッセージを受け取ると、教会がしゃしゃり出て来て、自分たちに都合がいいようにそれを歪曲したり、利益を損なわれないように知られたくないことを黙殺するのだ。
 聖母マリアは特に利用価値がある。マリアとおぼしき人物が現れたのは、キリスト教へ改宗するように人類に呼びかけるためだと思わせて、さらに信者を増やそうとしたり、現状を保持しようとする。それに狂信と迷信が加わり、これらの場所は巡礼の中心地となる。こうして、信者の狂信と無知の犠牲の上に、莫大な儲けを得るのだ。

 
*教えてもらえるとしたらですが、ファティマの第三の秘密とは何でしょう?

 霊的世界が秘密にしておきたいと思ったなら、世に伝えることなどなかった筈だ。霊的世界からのお告げに鍵をかけてしまっておくのは、それを公にすると明らかになってしまうことを怖れる人間のエゴ、特に世の中で物的な支配権を持つ者たちのエゴのせいだ。しかし、このことで頭を悩ますのはやめなさい。そこで告げられたことは、他の方法で、もう開示されているからだ。

2015年2月25日水曜日

30 イエスの地上での使命 ―その2―

*人類が救済されるかはつぎのイエスの転生次第なのですか? それとも、イエスは過去にも転生していたので、また生まれ変わらなくても人類を救うことができるのでしょうか?

 「救済」というものを人間が愛に向かう霊的な変革と捉えるのであれば、ある特別な高次の魂の転生いかんにそれが左右されるわけなどない。同時期に大勢の人が変われば集団的に愛の方向へ善い変化を起こせるので、それを「人類の救済」と呼べるが、それは特定の人によるのではなく皆によるのだ。
  すでに話したが、霊的に進化するかは、個人が自分自身で決断して行動することによって決まるのである。イエスや他の高次の存在たちに、進化の劣った人間を成長させる義務を負わしてはならない。進化した魂たちは、自らの手本を示すことで一般人を啓蒙する手助けはできるものの、進化するかどうかは個人的かつ自発的なものなのだ。これに関しては、全能の神でさえも君たちを強いることはない。

*イエスの使命への理解が足りないために、彼が戻ってくれば僕たちの罪業をあがなってもらえると、思い込んだ部分もあるかもしれませんね。

 その通りだ。イエスの犠牲によって全人類が救われるのだとしたら、人は善を成すか悪を成すかにかかわらず、また何の徳もなく自分の意に反してまでも、救済されてしまうことになる。地球に高次の霊的な存在たちがやって来るのは、いつも同じ目的のためだ。それは、人類が自ら自覚して成長できるように、その指導をするためなのだ。だが、それをするかどうかは人類にかかっている。

*イエスが十字架上で死んだことと人類の救済とが無関係なのだとしたら、なぜそのような大きな犠牲を払う必要があったのでしょうか?

 イエスは殺されるかもしれない危険を冒すことを知っていたが、人類に愛の教えを伝えるためにこの世に生まれ出ることを選んだのだ。しかもイエスは、人生のある時点で見せられたビジョンによって、事態がそのまま進展すれば磔にされて処刑されるとはっきりと知らされ、引き下がる選択も与えられている。高次の霊的な世界では自由意志が完全に尊重されているので、誰にも――たとえそれが自分たちと完璧に似通った存在であっても――何の強制もしない。


*殺されることがわかっていたなら、どうしてそれを避けなかったのですか? これは、あなたが「魂の法則」に反するとする一種の自殺行為に当たりませんか?

 殺してほしかったわけではないし、磔にされて死んでみたかったわけでもない、というのが君の質問への答えだ。だが、彼が一個人として勇敢で、どうなろうと最後まで愛の教えを広めるという手本を示したかったので、それを続けることにしたのだ。
 すでに言ったが、イエスの功績は十字架にかかって死んだことではなく、神の使者としての任務を果たした果敢さにあるのだ。そうすることで、最終的に殉教か処刑となって甚大な苦痛を被ることを知っていたにもかかわらず、あえてその代償を引き受けたのだ。


*イエスが僕たちの罪をあがなうために来たのではなかったのなら、彼は旧約聖書が予言する救済者なのですか、それともそうではないのでしょうか?

 イエスは確かに旧約聖書が予告した使者だが、カトリック教会が信じさせた目的やイスラエルの民が期待した目的のために来たかどうかはそれと別問題である。
 イスラエルは、彼らを外国の支配から解放して征服者の国に変えてくれる、ダビデ王のような政治的な君主を期待していた。だがイエスはそのために来たのではなかった。彼の使命は全人類に及ぶもので、物的な統治者としてではなく、霊的世界の真相を伝える神の使者としてやって来たのだった。
 間違った馬鹿げたお門違いの信仰の中で道を見失って混乱している人類を、暗闇から助け出すために来たのである。イエスは、神や人間の進化について混迷を極めて完全にエゴに囚われてしまっている人類に、本物の霊性進化の道を示すためにやって来たのだ。

*歴史に残る偉大な預言者やアヴァター(神の化身)の中には――モーゼやクリシュナや仏陀のことを考えているのですが――イエスの前世であった人もいるのでしょうか?

 君が名を挙げた人たちは確かに皆イエスと同じ使命を担って霊界から遣わされた神の使者だったが、誰もイエス自身ではない。彼らは皆同じ大義のために仕えたわけで、彼らが生まれ出た社会のメンタリティーの許容度においてだが、仕事もそこそこ実を結んだのだ。

*イエスと仏陀はこの地球にいたことのある最も進化した存在だと言えるでしょうか。

 君たちが知っている者たちの中では、そう言える。

*でもユダヤの民は、イエスがモーゼの律法に反する考えを持っているとして、彼を疎外したのではないですか

 全員がそうしたわけではない。イエスを疎外したのは、ユダヤ教の僧職と彼らに影響された者たちだ。それにイエスの考えがモーゼの法に反していたからではなく、それがユダヤ聖職者たちが人民に定めた法律にそぐわなかったので、モーゼのせいにしたのだ。イエスはモーゼの律法を覆しに来たのではなく、捏造や改ざんされた箇所から虚偽を振り払い、元来授けられた姿で再提示をして、それを遵守するために来たのである。

*十戒のことを話されているのですか?

 十戒とは、温存することのできたほんの一握りのもののことなのだ。もっともその中には初期の意味合いが変えられて、歪められてしまったものもある。だがこのことに関してはもう充分話したから、ここで繰り返すのはやめとしよう。
 真にモーゼの手になるものは短く簡潔であったが、霊的な観点からは真実であった。モーゼの五書は彼のものだとされているが、彼の死後かなり経ってから書かれたもので、思いあがった作り話やユダヤ民族の支配者たちが命じたいまわしい逸話に満ちていて、彼とは無関係だ。だが、有無を言わせずにそれらを正当化するために、神やモーゼのものとしたのだ。

*イエスのことに戻るのですが、イエスが最後に地上に転生していたのは二千年前なのでしょうか、それとも僕たちが彼だと気づかなくても、その後で再びやって来ていたことがあったのでしょうか?

 最後に転生したのは二千年前にイエスとしてであって、それ以後は地球で生まれ変わるためには戻ってきていない。

*イエスは現在すでに地上に転生していますか?

 いや、まだだ。でも、あともう少しだ。

*生まれ変わろうという決断やそれをいつにするかは、イエスが決めるのですか? それともイエスの上位にいる存在が決めるのでしょうか?
 
 地球の進化に求められていることとメッセージが最も浸透し得る最善の時期を把握した上で、彼自身がその自由意志で決めるのだ。

*イエスの転生まで、あと正確にどのくらいかかりますか?

 その質問には答えられない。でも、そう遠くない未来に生まれ変わるであろう。それは物事がどのように進展していくかによるのだ。だが、この世代はまだ無理だ。とはいえ、その下準備をする者たちが、しばらく前から転生して来ているがね。

「その下準備をする者たち」とはどういう意味ですか?
 
 霊的な任務というものは、個人的な孤独な仕事ではないということだ。行き当たりばったりに進めるものでもなく、それが実行に移されるかなり前から、真剣かつ詳細に計画されるものなのだ。それは人類の霊的進化を目的にした集団的な救援であり、イエスほどの進化を遂げてはいないが大勢の魂が参加する。主役となる使者が活躍する前、最中、またその後に、ある者は霊的な次元から援助し、ある者は物理的次元から助けるのだ。

*どういう準備をするのですか?
 アヴァターが転生する際にメッセージがより広く行き渡るように、霊的な教えを少しずつ知らしめて人びとに受け容られやすくするのだ。

*進化した存在たちが増えるためには、地球はどのような環境にあるべきなのでしょうか?

 先にも言った通り、霊的な支援のミッションというものは今回が初めてのことではなく、過去の時代に行われた仕事と関連している。同じ目的を持った同じ魂たちが、さまざまな時代に生まれ変わっているのだ。進化が遅れている者は、愛に関する基本的な知識を学ぼうと努め、より高次の者には、自分の愛の能力を発展させる責務と手本となって遅れた者たちに愛について教えていく責任がある。
 教師的役割を果たす魂たちが進歩するにつれて、彼らの任務はより奥深いものとなる。それに伴い、遅れている魂たちも進化していくので、霊的な教えをより深く理解して実行しようとする魂の数も増え、彼らも教えの伝達者となっていく。
 このような霊的な改革の波ごとに、より多くの魂が次々に進化を目指す仲間入りをし、進んだ魂の数もだんだんと多くなっていく。それゆえ、進化した魂がより多く生まれ出ていることは、人類の精神レベルが高まっていることを反映している。

 *今のあなたの「進化した魂がより多く生まれ出ている」という言葉で、イエスが言ったとされている福音書の「私よりも、もっと大きな業を行うようになる」という一節を思い出しました。でもあれから二千年も経ったのに、イエス以上のことを成し遂げられた者がいないという点については同意されますよね。イエスは間違えてそんなことを言ってしまったのでしょうか、それともこの部分も歪曲されてしまっているのでしょうか?

 ここでイエスが言及していることは、以前すでに話したことだ。人間というものは、充分に進化しさえすれば、この地球に生きていたイエスと同レベルに到達することができる。さらに、魂の進化は留まるところを知らないので、彼よりも高次の段階に達することもできる。そうなれば、イエスが地上にいた時と同様かそれ以上の能力を持つことが可能になるという意味なのだ。
 君たちの惑星でいまだに彼ほど大きな愛の能力を発揮できた者がいないのは、地球の最も進んだ者でさえそのレベルに辿り着けるほどの時が経っていないということだ。君たちには長い年月に思えるかもしれないが、霊的な視点からの二千年はほんのひと時に過ぎない。したがって、イエスは間違ってそう発言したのではないし、それは歪曲されてもいない。ただ、まだそれが実現する時期になっていないということだ。

 *多くの人が自分が霊的に進化していると思っていて、神の使者であると言っていますが、どうなのでしょう?

 ほとんどの者がそうではない。注目を浴びたいあまり有名になりたいという願望を述べているに過ぎず、真実ではない。
 高次の存在は、その愛する能力と謙虚さや他者の考えや信念をどれだけ尊重できるかで見分けることができる。
 神の使者を名のる大半の者が自慢をして、その状況を名ばかりの優越性で人を圧倒して利益を得ることに利用する。人よりもすごいのだと自慢して優位に立とうとする者は謙虚さに欠けており、自由意志を尊重することができない。それを見れば、彼らが口ほどでもない者であることがわかる。

2015年2月23日月曜日

29 イエスの地上での使命 ―その2―


イエスの地上での使命 ―その2

*霊的に成長する上で転生がそれほど重要なことだというのに、イエスがそれを直接はっきり話さなかったことに驚きを覚えているのですが。

 もちろん話したとも。「魂の法則」についても説いたし、霊的な進化と関係することは、全部わかりやすく明瞭に教えたのだよ。君たちが持つ彼についての情報が正しく完全だとは限らない。

*根拠を示せる文書は残っていますか?

 君たちの世界で、イエスの人柄や功績について本当のことを知っている者は誰もいない。彼の思想や人物像や伝達された教えのほんの断片が残っているに過ぎない。しかも、僅かに保存できた彼の功績でさえも、その大半が改変、歪曲されてしまい、当時の支配層やその後世界を支配してきた者たちにより、人びとの目から隠されてしまった。そして、今でもそうされている。真実が明らかになると自分たちの利己的な利益が損われると考えているので、一切の事実を知られまいとしているのだ。

*でしたら、そのような知識は何も新しいものではないのですか?

 もちろん違うとも! それは、有史以来、地球のさまざまな場所で伝えられてきたのと同じメッセージだ。伝達したのは実際にはいつも同じ霊性の使者たちで、地球の平均よりも進化しており、「愛の法則」と他の霊的な法則を熟知した者たちだが、転生した時代によってそれぞれ異なる名前で知られている。

*でも、どうしてそれを知り得ることがなかったのですか?

 もう、話したではないか。霊性の使者たちが帰ってしまい、その教えが霊的に劣った者たちの手に落ちると、彼らによって、当初の教えの中に利己的な考えが織り込まれてしまったのだ。元の伝達者たちがいなくなっていたので、改悪を止めることもできなかった。
 イエスという特定のケースにおいても、それと同じことが起こったのだ。時の経過と共にイエスの教えは歪められていったが、それは常に、支配者たちを有利にするためか、彼らの利権を損なわないようにするためだった。彼らは書記を雇い、本当の教えを徹底して改変した。そうして、支配者たちは人民に知ってほしくないことを消去し、書いてあった方が都合がいいことが加筆されたのだ。

*消されてしまった教えはどのようなものですか?

 ここで一緒に学んできた教えと同じものだ。魂の転生についての知識や、進化の法則などである。自己の人生と感情に関しては自分で決定できるという各人の権利も該当する。動物も含む最も弱く無防備な存在たちの生命と権利を保護して尊重しようという呼びかけも同様だ。
 つまり、あらゆるエゴの形態―中でも強欲・貪欲・憎悪―と虐待や搾取などを糾弾して告発しようとする教えのすべてである。このような教えは全部、元々の意味がわからないように、意図的に改変されたり消し去られたりしたのだ。

*イエスは自分の教えがいじられないように霊界から防ぐこともできたのに、なぜそうしなかったのですか?

 それは自由意志の侵害となってしまうので、イエスであろうと他の霊界が遣わす使者であろうと、誰も、世界を望み通りにすることができないのだ。唯一できるのは、人間のエゴによって台無しにされてしまったものを再建するために再び生まれ変わることだ。

*それは、イエスがもう一度地上に生まれ変わるという意味ですか? 二度目に戻ってくるのですか?

 そういうことだが、二度目ではなく、何度も来ているうちのもう一度に過ぎない。

*では、キリストが再来するという予言は本当なのですか?

 キリスト(ロゴス・キリスト)は、遥か以前に人間の段階を超えることのできた大変進化した存在なので、もう転生はしないと話したろう。キリストは、霊的な使命を帯びて転生している人間の進化段階にいる魂たちに働きかけるのだ。
 だが、イエスが転生するというのは本当だ。もっとも、すでに言った通り、二度目ではないがね。でもそれは、一部の人が待ち望むように、カトリック教会の陣頭に立つためではない。しかも、キリスト教徒を自認する多くの人たちからは、歓迎されないであろう。特にその上層部の者たちにね。なぜならイエスが戻るのは、二千年前にユダヤ教会を糾弾した時のように、彼の名においてキリスト教会が創りあげたあらゆる欺瞞と失態を暴くことも目的の一部になっているからだ。

*前にイエスがもう一度地上に生まれ変わるかをあなたに質問した時には、キリストの例で返答されて(「魂の法則」参照)、今僕がキリストのことを質問すると、イエスの話をするのはどうしてですか? 二人は別々の存在なのでしょう?

 それは、君たちがイエスとキリストとを同一視しているからだ。確かに、イエスが再び転生する際には、実際にキリストからインスピレーションを授かることになる。しかしキリストは、他の大変進化した存在たちが霊性進化の任務遂行のために生まれ変わる必要が出る際にも、インスピレーションを与えることができるのだ。

*お言葉からすると、イエス以外の人たちもキリストに感化されていたようですね。

 当然だ。

*キリストは、救世主イエスが転生していない時期には、彼ほど進化していない人たちにもインスピレーションを与えられるのでしょうか?

 もちろんだ。というのは、キリストの場合も含めて、進化した存在たちは皆、特定の時代のたった一人にだけインスピレーションを与えるのではなく、イエスほど高いレベルではないとしても、無条件の愛を動機にして行動するすべての存在を感化するものなのだ。
 転生する人間の進化の程度により、キリストやその他の高次の存在たちとの繫がり具合が決まる。多くの者が自分を重要人物だと思いたいがために「選ばれた者」になりたがり、愛そうとするそぶりをするが、エゴを放棄しようとはしない。霊界は、愛の道を進もうとする人には誰にでも手を差し伸べる。しかし、エゴが動機となって行動する者は、霊的に進化した存在たちからの応援は期待できない。
 それゆえ、「選択」とは自分自身でするものであり、それは、エゴか愛かのいずれかを選び取ることである。どんな影響を惹きつけるかは、自分が選んだものによって違ってくるのだ。

*キリストとイエスという組み合わせを、どう理解したらいいのでしょう? キリスト意識の状態とでも考えるべきでしょうか?

 キリストというのは高度に進化した霊的な存在で、君たちと同じように、独自の意志と個別性をもって存在している。それゆえ、ある意識状態という以上のものだ。意識状態というのは存在そのものではなく、ある存在の表現形態だからだ。
 人がキリストと繫がると、その人の意識は疑いなく、独りで到達できる限界よりも、ずっと広い範囲にまで拡張する。この超高次の存在からインスピレーションを与えられると、自分の力しかない時よりも確固とした勇気と決断力をもって行動できるので、取り組んでいる使命に役立てられるのだ。

*神以外で一番進化している存在は何ですか? その存在は転生していますか? どのような具体的、または全般的な使命があるのですか?

 進化の段階においては、キリストやイエスが神のすぐ下の存在だと思って君がそう訊いているのなら、あらかじめそれは違うと言っておこう。霊的な世界は広大で、キリストやイエスよりも高度に進化した存在は無数にいるのだ。そのような存在が生まれたのは、私にも進化の歴史を遡れないほど遥か以前のことだが、神は常に存在していたし創造をやめたことなどないので、その起源もわからない。
 君たちには制約された認識力しかないので、これらの存在に可能な最大の支援法が、人間として生まれ変わって地上に降りることだと思っている。だからイエスが神の生まれ変わりだと思ったりして、神そのものが人間に転生してもおかしくないという考えに至ってしまうのだ。
 君たちの限られた視野では、超高度に進化した彼らの力がどこまで及ぶのかは、想像だにできない。彼らには、星の数ほどある世界と人類の創始者及び管理者として、想像し得るよりもずっと大きな責任があるのだ。一人の人間に生まれ変わることは、その潜在能力が雀の涙ほどの力に制限されることなのだ。
 したがって、彼らが個人の人間として生まれ変わることはない。なぜならそれは人間に、蟻として生まれ変わって蟻の生活を送るように期待するのに等しいからだ。そのため、そういう使命を引き受けるのは、高次の存在の支援を常に受けているものの、進化程度が君たちに近い存在たちなのだ。

*イエスが神やキリストの直接の生まれ変わりでないのなら、なぜ「私は道であり、真理であり、命である」と言ったのですか?
 

 君たちが知っているその文言が、そのままそっくりイエスの口から出たことはない。言わずとも普遍的であったメッセージを、自分個人のものにしてしまうことはできないからだ。
 それは、「私は、霊的世界からの使者としてあなた方に霊性進化の道筋を示し、霊的世界の真実と魂の命の真相を教えにやって来た」というメッセージを簡略化したものに過ぎない。

*あなたはイエスが何度もやって来たことがあると言われましたが、それは、ナザレのイエスという人物として生まれる以前にも幾度か転生したことがあるという意味ですか?

 もちろんだ。現在の君たちの公の歴史に書かれてもおらず、認知されてもいない古い時代に、地球に生まれ変わったことがある。

*それらの人生では何をしたのですか? 

 イエスは君や皆と同じであった。そして、充分に進化を遂げてから、霊的なメッセージを携えてやって来たのだ。

*でも、イエスとしてやって来る以前にも、過去に似たような使命を果たしたのではないですか? 彼のしたことが何か記録に残っていないでしょうか?

 彼の任務は歴史のどの時代においても、人の魂に刻まれていく霊的な仕事であった。歴史の書物にその記述がなかったり、歪められてしまっていても、それが無駄になってしまったわけではない。なぜなら、霊的な教えに心を掴まれた魂は、その教えを絶対に忘れることがなく、以後の転生でそれを表明していくからだ。
 イエスは、さまざまな時代の異なる場所に、愛のメッセージをもたらした。イエスは、この世の諸悪の根源がエゴであることを各時代の人びとに伝える方法を熱心に探し続けた。また、魂の諸法則と霊性進化の行程を人びとが理解できるように、基礎的な霊的な知識をできる限りやさしく伝えることにも力を尽くした。しかしながら、その時代の大部分の人たちは、今の時代と比べると知性においても感性においても大変劣っていたので、彼の提案した改善案が実施されることはなく、彼が過去の世で認められることもなかった。人びとは、超常現象のように思えたイエスの数々の行いに惹きつけられはしたが、彼が布教した意味深い霊的な教えを汲み取ることはなかった。イエスが特別な存在であることはわかっていたのだが、彼を理解できなかったのだ。彼のことを理解することができたのは、最も身近なわずかな弟子たちだけだった。
 それゆえ、同じ仕事を続けていく必要がある。そのため、当時イエスを理解できた者たちが、かつて進化不足のために教えがわからなかった人たちを助けようと、現在、継続して任務を担っているのだ。