著者のインタビュー

20111028日 "De tots els Colors"  Elena Lorente Guerrero によるインタビューを訳しましたので、ご紹介します。

http://detotselscolors.wordpress.com/2011/10/28/entrevista-a-vicent-guillem-doctor-en-ciencias-quimicas-investiga-sobre-la-predisposicion-genetica-al-cancer-en-el-hospital-clinico-universitario-de-valencia-“una-espiritualidad-bien-ente/

バレンシア大学病院でがん遺伝子の特定に関する研究をされている化学博士、ヴィセント・ギリェムさんにインタビュー :『霊性に関する理解が深まれば、科学を飛躍的に発展させて人類に貢献できることだろう』20111028

<紹介>

ヴィセント ギリェム・プリモさんは、バレンシア大学で化学博士号を取得し、現在は、バレンシア大学病院の血液学・腫瘍学科で、がん遺伝子の特定に関する研究者として働いている。

個人的に自由になる時間を使って、完全に無私・無償でレイキ治療を行っている。また、感情と健康や病気との関係の理解を広めるための講演活動も無償で実施している。

無私無欲で全人類に贈る愛のメッセージを含んだ『魂の法則』の著者である。


VICENT GUILLEM PRIMO : ヴィセント ギリェム・プリ

いい研究者とは真実を知りたいと思うものですが、真実に行き着くにはまだ開拓されていない分野を調べ知識を深める必要があります。科学は精神性と折り合いがつかないのではなく、迷信や狂信を嫌っているのです。霊的なことを調査しようとすると多くの妨害に出会うのは、それが分かってしまうと、これまでの全ての構造が崩れ落ちてしまうからです。私達が何をするためにやって来たのかを分かってしまえば、もう私達を簡単に洗脳することはできなくなるからです。

私が研究室での仕事で明らかにしようとしているのは、現在行われているがん治療における否定的な結果が何であるかということです。公認されている医学では、現在の治療法が完全に間違っていると認めることはないでしょうが、遺伝要素との兼ね合いで、弱い遺伝子を持っている人は生存率が低く、治療によって白血病を発症するリスクが高いことを実証できれば、それを考慮に入れて、副作用の影響を受けやすい人には特定の薬を与えないようにすることができる筈です。これが研究所で私ができる最善のことです。

 -職場以外のところでは、私は講演を通して、人々に、感情的な葛藤が多くの病気の原因になっていることを知ってもらい、初めに葛藤を解消してもらおうとしています。葛藤を解消するというプロセスを避けて通ることはできません。病気にスイッチをいれてしまった生体プログラムをオフにしない限り、肉体的に何をしてもそれを戻すことは出来ないからです。でも、この生体プログラムを停止させることができれば、身体を再生に向かわせる肉体上の治療法はあります。私は、Renoven(以前は免疫系を刺激させるBiobacとして知られていた)、自然療法医学、ホメオパシーなど身体に負担をかけない治療に賛成です。レイキなどのエネルギーセラピーも有益です。場合によっては抗炎症剤、ステロイドや抗生物質などの薬剤を使用しなければなりませんし、深刻な損傷を受けた組織を除去する手術も必要です。

-私達は、この世にはただ単に仕事をするため以外にやってきているのです。住宅ローンを払ったり、もっとセクシーになったり、成功するためだけではありません。それらは重要ではないのです。 重要なのは、感情を発達させることです。いつでも内的な変容を開始することができるのです。 

 

あなたの人生の動機となったのは何ですか。何が内的な探求に向かわせるのですか?

良い質問です。私は小さい時から、私達のみんなが疑問をもつだろうことを自問してきました:私たちはどこから来るのか? そしてどこに行くのか? 私達は何者なのだろう?などの質問です。そして、宗教にも科学においてもこれらの質問の答えを見出せなかったために、私はいわゆる不可知論者だったのです。そして、表面的には普通の生活をしていましたが、答えを見つけなければならない必要性を常に感じていたのです。

切望していた一つが、愛を知りたい、ということでした。これは、私の人生の全てを通した探求となりました。

20代で病気になり、それを治そうと従来の医学に頼りましたが、何も改善されませんでした。その時、私は、自宅でレイキの無償奉仕をしていた今の妻に出会い、「試してみよう。失うものは何もない」と考えたのです。

そして彼女によって、私は、自分が患っている病気は全て精神的な不快感から引き起こしたものではなかろうかと、反省させられるに至ったのです。会話の中で、彼女は私が誰にも話したことのなかった私自身についてのことを話したので、私は「誰にも言ったことがないのにどうしてそんなことを知っているの?」と聞いたのです。すると彼女が、私を助けるために援助されているのだと答えたので、「君は誰から支援されているの?」と聞いてみました。すると、「光の存在たちよ」と返答したのですが、彼女は霊的なガイドたちのことを指していたのです。

それ以来私は、彼女を介して届けられるメッセージを考慮に入れることになりました。 受け取るメッセージを本物だと感じたのは、それが、私に起こっていることや私の問題についてピタリと言い当てていて、それらを乗り越えるの役に立ったからです。それで、私は自分が求めてきた答えを探すためにそのコンタクトを活用するようになったのです。
それが私のスピリチュアルな変化の始まりでした。

貴方が厳格な科学的思考構造を持っていらしたことを考えると、それは驚くべきことですね。

はい、私は生化学博士ですから科学的な教育を授かりました。 ただ、これが起こったとき、私はまだ大学の二年か三年だったのですが、片方がもう一方と対立するとは思えませんでした。

確かに私達が受けた教育では、計器で測定することのできないことは全て存在しないものと考えるようにと教えられましたが、私は直感の導きに従ってみることも多々ありましたし、いつも真実を知りたいと思っていました。いい研究者とは真実を知りたいと思うものですが、真実に行き着くにはまだ開拓されていない分野を調べ知識を深める必要があるのではないでしょうか。

私は、超常現象に関するテーマを調査することは、科学にとってタブーであるとは思わず、逆だと思っています。これらは未踏の分野なので、学べることが沢山あると思うのです。科学は精神性と折り合いがつかないのではなく、迷信や狂信を嫌っているのです。ですからむしろその反対で、霊性に関する理解が深まれば、科学を飛躍的に発展させて、現在のように特定の経済的利益のためにではなく人類のために貢献できるだろう、と思うのです。 

だからある種のビジネスが..

そうです。霊的なことを調査しようとすると多くの妨害に出会うのは、それが分かってしまうと、これまでの全ての構造が崩れ落ちてしまうからです。私達が何をするためにやって来たのかを分かってしまえば、もう私達を簡単に洗脳することはできなくなりますからね。

エネルギーとの最初の出会いから、『魂の法則』に行き着くまでにどのような自己変容があったのですか?

まあ、それは私の妻と体験したこと全てと大いに関係しています。 彼女は、言わば、私と霊的な世界との最初のコンタクトの仲介役だったのです。

私が最初にしたことの一つは、エネルギーを、それをレイキと言ってもいいですが、伝えることでした。彼女は私に、私がいい気を持っているので、痛みを和らげるために必要なエネルギーを流せるだろうと言ったのです。それで、最初は知り合いに、それから後はそれをして欲しい人に、レイキを適用し始めたのです。 いつも無償で、ですが。そのうちに、私自身が学ぶことができて大いに役立った事柄を他の人に知らせ始めなければならない必要性が出てきたのです。

それで、病気の感情的な原因についての講演を開始して、その次の段階で、霊的なことに関する話を始めたのです。そして、自分が知り得るチャンスのあったそのような霊的な知識の全てを本に著わす必要性が出てきたのです。それらの知識は私個人のものではなく、私に所属するものでもないと分かっていたので、みんなで共有しなければならないと思ったのです。共有するということは、そこから個人的な利益を生んではいけないわけで、だからこの本は実費でしか売らないのです。費用がかからないPDFは、無償でダウンロードすることができます。 

本を執筆して、公演を通じてメッセージを広めようとしたのは、私の人生に意義を見出す上で役に立ったことを他の人々と共有するためでした。きっと、私に役立ったと同じ様に、他の人々にもそれぞれの人生の意義を見つける上で助けになると思うのです。

非常に勇敢でしたね!

そうだろうと思います。多くの怖れ、拒絶される怖れや、他人に何と言われるだろうかと思う怖れを克服しなければなりません。 仕事にどう影響するだろうかとか、家族からどう思われるだろう、とかです。それらの懸念は、乗り越えていかなければならないものです。なぜなら、怖れているだけでは、何も言えないからです。しかし、同時に、他の人達から大いに助けになったという報告を受ければ、力づけられるものです。皆が自問している疑問への答えがみつかったと連絡されれば、やり続けていく力を貰えるのです。

生化学博士としての貴方の立場からすると、他世界が存在することや生まれる以前や以後にも命があることを話すのは、大胆なことですよね。

実は、私に科学的なバックグランドがあったのは偶然ではなかったと思うのです。それは、このメッセージを伝える時になったら信頼を得られるように必要なことだったと思うのです。残念ながらこの世界では、知的レベルの高いステータスを持つことがとても評価されるので、同じことを言うにしても学歴のない人が言うよりも、博士の学位や職歴がある人の言うことの方が信憑性があるとされているからです。

私は今、私の科学的な背景は人々が偏見を持たずに耳を傾けてくれるのに必要なものだったのだと理解しているのです。 本来ならばそうであってはならないのですが。。私は、メッセージが本物であり、それを伝える人が実際に経験してそれを理解し、ありのままにそれを伝達するのであれば、充分に聞くに値することだと思っています。しかし、この世界には偏見があるので、時には自分の話を聞いてもらうためには、何らかのタイトルが必要とされるのです。教授でありさえすれば意味のなさないことを話しても、他者から注目されるような世界なのです。

だから貴方が選ばれたのでしょうか...

多分...私は、それが出生前に行った選択だったのだと思うのです。人は目標を定めて生まれて来ており、人生でそれをやり遂げようとするものです。

私は若い時にはまだ霊的なものを知りませんでしたが、直感に従って行動しようとしていました。そして、自分が満たされることをしていると、それが人生で辿るべき道のように思え、納得できて気持ちがよかったのです。当時は、勉学に没頭していたのですが、のちに、科学的な背景があることは、人々に近づいて霊性に関する話ができる方法だったのだと気づいたのです。学歴があれば、人から狂っていると思われませんし、迷信や狂信に振り回されることのない真面目で知的な人として受け入れてもらえますから。

それに、私達は霊性を発達させるには有利な時代に暮らしていると思います。このような話題に心を開いてみようとしている人達が沢山いますし、そのような話を耳にすることで意識がどんどん解放されるのですから、このメッセージも更に広まってくれることでしょう。

何年にもわたるがんの研究で、どのような結論に達しましたか?

多くの病気が、つまりがんの多くも含まれる訳ですが、感情的な問題が肉体上に現れたものだと言えます。多くのがんの背景には強い感情的葛藤があって、体はその精神的不快を反映させているのです。これらの感情的な問題が解決できれば、化学療法を用いることなくがんを治癒させることができます。

このことは、私自身も最初にお話したように直接経験したことなので、実際に確かめています。私は従来の薬では解決できない肉体的な問題を抱えていましたが、感情面での変化を行って、治すことができました。そして、その後で、次のような他の研究者の業績を発見したのです。

-がんの研究に関するハマー博士
-心血管疾患の分野で医学博士Wittstein
-喘息に関するリチャード·デビッドソン博士

私は、感情的な葛藤と身体上の疾患との関連性を証明できる科学的な根拠を彼らが本当に持っていたことを確認したのです。

これは、病気の100%が感情的な問題に起因すると言っている訳ではありませんが、多くのものが感情が原因であると分かるのです。

私達は、病気や治療のことを話すときに、しばしば『・・・病との闘い』とか『やっつける・打ち負かす』などの表現を使います。このような攻撃的な言葉や態度をとって健康になれると思えることに驚いています。自分の身体の器官と和解したり、身体を調整して回復させる立場から発言する方が意味があるのではないでしょうか。

それは、私達が、私から見て間違った病気の概念を持っているからだと思います。博士ハマーは、病気の多くを、身体の緊急事態を緩和させようとする生物学プログラムとして見ています。つまり、病気自体が問題の原因ではなく、それ自体が問題を解消しようとする生物学的なプログラムの一部なのです。

このような観点からですと、例えば、肺がんは、身体に生命を維持するには不充分な酸素しか行き渡っていないことを感知する生物学的なプログラムだと見ることができます。

肺の中で大きくなるこのような腫瘍は、通常の方法では本人が取り入れることのできない酸素を取り込む機能を果たし、緊急時に起動する肺のような役目を果たすのです。もし、その状態でそれを破壊してしまえば、その人の肉体にかえって悪い影響を与えることになるのです。知らねばならないのは、一体どうしてそのような酸欠状態になってしまったのか、ということです。

それは、喫煙者にみられるように、タバコの害によって肺がやられてしまった場合のように物理的な原因かもしれませんが、恐怖、不安や苦痛などによる感情的な原因である場合もあるのです。

このような二番目のケースでは、葛藤を解決できれば、人は通常通りに呼吸し始めることができるので、緊急事態用の肺を必要とはしなくなるのです。身体がそれが不要になったことに気づけば、作られたものは起動しなくなり、私達が病気と呼んでいるものは徐々に消えていくのです。

実際は、時には、私達が病気と呼んで否定的に見ているものは、身体が生命を維持するための手段なのです。このメカニズムを作動させなければ、私達はおそらく死んでしまうのです。

ハマー博士の医学では、身体を攻撃し副作用を与えて正常に戻ることを不可能にするような治療法は、適用されることがありません。化学療法も、放射線治療も行われず、生物学的なバランスを維持するための治療法が重視されています。しかし、病気の原因が感情的な葛藤である場合は、その葛藤が何によるのかを理解して、それを解決しようとしなくてはなりません。そうしなければ、身体に負担をかけない治療法を用いていたとしても、病気の進行を逆行させることができないからです。

ハマー博士とその治療方法は、現在、糾弾されていますが。

はい、それは彼の推論が、製薬会社が支配している薬学療法と健康関連市場との存在を脅かすことになるからです。製薬会社にしては、自社製品を生涯にわたって消費してくれる人達を維持することに関心がある訳ですから。

1993年にノーベル医学賞を受賞した、生化学者のリチャード·ロバーツはこのことについて、次のように言っています。

 “ 製薬会社は、往々にして、貴方からお金を得るほどには貴方を治すことに興味を持っていません。 彼らは、治癒させる研究にではなく、恒常的に使用する薬で痛みを慢性化させることに関心があります。それは、一度に完全に治してしまう薬よりもはるかに儲けがあるからです。
彼は、今日、慢性疾患だとされる多くのものには、治療法があるとしていますが、研究所が、政治家とグルになって、待とうとしている”  のだと言っています。

病気が、心理的なレベルで感情的な変革をすることで、治すことができるものならば、それは彼らの商売にはなりません。製薬会社にとっては、あまりにも安い治療法です。 私はこれがハマー医師が糾弾される理由であると思っています。

彼の病気に関する概念とその治療法が、医薬業界に利益をもたらさないからです。

多くの人々は、化学療法と放射線療法が新しいがんを誘発する可能性のあることを知りませんね。

 はい、例えば、白血病を発症する危険があります。このことは、従来の医学によっても認められています。 隠し事ではないのですが、多くの患者がそれを知らないのは確かです。

 患者は、治療を開始する前に、同意書に署名する必要があるのですが、そのときに、治療についてとその副作用についての説明を受けます。 しかし、この説明は、保険契約での小さな文字のように、それが何を意味しているか分かる十分な知識がなければ、数分内にそれを理解することはできないものです。

その治療を受ければ治るよ、と勧める医師の判断の方が優先されて、人はそれを信じるのです。

しかし、化学療法が開始されると副作用に気づき始め、自分に与えられるダメージの酷さが分かり、多くの人が治療を止めたいと思うのです。彼ら自身で、それを実際に体験してみるからです。

そのような治療法は、健康な細胞と"腫瘍"細胞とを見分けられないので、多くの副作用が出てしまいますし、その非常に強い毒性のことを思えば、治療効果も疑わしいほどなのです。

2001年にノーベル医学賞を受賞したティム·ハント生化学博士のように、科学の公認分野にも、これらの治療法の有効性を疑っている要人はいます。 彼は次のように言っています。

 いくつかの例外を除いて、抗がん剤治療は、余り成功しない。一般的に、 化学療法は有効ではない。 がん細胞に焦点を当てることができずに、全細胞に影響してしまう。髪は抜け落ち、病気だと感じさせる。 化学療法は、理にかなわない治療法だ。

しかしながら、化学療法は常に乗り越えなければならない「必要悪」だとされているのですが、私はそれに賛同できません。別の治療の選択肢があると思っています。

どのような選択肢のことですか?

がんが感情的な葛藤に起因している場合には、その問題を解決することが最初のステップです。 つまり、その葛藤を特定することに焦点を当てた感情面でのセラピーがあるべきで、問題の解消に役立てなければなりません。葛藤を解消するというプロセスを避けて通ることはできません。病気にスイッチをいれてしまった生体プログラムをオフにしない限り、肉体的に何をしてもプロセスを逆行させることが出来ないからです。でも、この生体プログラムを無効化できれば、その後で、身体を自発的に再生に向かわせる肉体上の治療法はあります。私は、身体に負担をかけない治療に賛成です。

私が通常薦めているのは、Renoven(以前は免疫系を刺激させるBiobacとして知られていた)、またはUkrain です。自然医学療法やホメオパシー、またはレイキなどのエネルギー治療も有益です。

場合によっては抗炎症剤、ステロイドや抗生物質などの薬剤を使用しなければなりませんし、深刻な損傷を受けた組織を除去する手術も必要です。

病気のプロセスの理解の仕方と貴方の仕事とは合致していますか。

私の仕事は研究室のものですから、私が治療法を決める訳ではありません。私は仕事では、まさに、現在行われているがん治療の否定的な結果がどういうものかを明らかにしようとしているのです。

公認されている医学では、現在の治療法が完全に間違っていると認めることはないでしょうが、遺伝要素との兼ね合いで、例えば、弱い遺伝子を持っている人は生存率が低く、治療によって白血病を発症するリスクが高いことを実証できれば、それを考慮に入れて、副作用の影響を受けやすい人には特定の薬を与えないようにすることができる筈です。この方向性で、そのような治療法は、身体に非常に有害なのだと証明できる仕事を発表しようとしています。

これが研究所において私ができる最善のことです。そして、仕事場外では、講演をして、人々に、感情的な葛藤が多くの病気の原因になっていることを知ってもらい、対処するための選択肢があることを知ってもらおうとしています。 

がん自体ではなく、化学療法によって病弱になったり亡くなったりする人をみるのは辛いです。

病歴に沿って、その合併症であるとか、どちらにせよ死んでしまうことになったのだと言われることでしょう。それが違うということを証明するのは、非常に難しいのです。他の方法で治療していたらどうなったかを確かめる方法はありませんし、その発言は認めてもらえないでしょう。化学療法を行わなければ病状が悪化することが当然だとされていますが、それが真実だとは限りません。

どうしたら私達は、感情を自覚してそれが健康と結びついていることを理解しながら暮らせるでしょうか。

先ず始めに、自分自身に完全に正直になることです。感情レベルで苦悩しているのだとしたら、苦しんでいることを認めて、苦しみの原因を理解するために自分を掘り下げるのです。そしてそれが分かれば、その原因がなくなるように人生上の変更をし始めるのです。

例えば、その人が、愛情のない恋愛関係で幸せに思えず苦しんでいるのだとしたら、その関係を終わらすなどの決断をしなければなりません。その決断をしない限りは、その人は苦しみ続けて、その苦悩に起因した病気になるのです。要は、自分の感じるままを人生に反映して生きられるように、自分の人生の担い手になるべきなのです。

このような視点から見た場合、肉体上の病は、有益であるとも言えるのです。というのは、そうならない限り気づけない、または気づきたくなかったことが、病気になることで自覚できて、人生を変更する必要性があることが分かるからです。自己変革の促進剤となる訳です。

病の象徴的な意味について述べた書物がありますが、やあmハマー博士自身が特定の感情が特定の器官に及ぼす関係について述べています。それについては、どう思われますか?

ハマー博士はこのことについて、何冊か書いていますが、 おそらく「新ドイツ医学概要」が、このテーマを知るのに適したものです。

怖れは、最も有害な感情だとされますが...

はい、私が『魂の法則』の中で、恐れ・憎悪・攻撃欲・悲しみなど「エゴ的感情」と呼んでいるものは、自分を苦しませる否定的な感情で、病気を引き起こすことになります。本では、様々な「エゴ的感情」について解説して、それらをどのように認識して克服すべきか説明しているのですが、克服すると肉体の健康面に反映されるだけではなく内面が癒され、内面が良くなるとそれがまた身体に反射されてくるのです。

どのように、思考・感情・行動を一致させるのですか?

先ず、それらの全てがどこから生じているのかを知る必要があります。本の中では、感じることと考えることとは別物だと言っています。

我欲は、思考に影響して、それが気持ちを変更させてしまうことになります。

本で推奨していることは、各人が自分を深く掘り下げることですが、そのためには、思考と感情とを区別できなくてはなりません。

思考は、私達が授かった教育の全てに影響されてしまっています。それが抑圧的な教育であった場合には、感じることに反して考えるようになりますし、気持ちに反した思考に従って行動すると、 自分達を苦しめるような決断をしがちになるのです。ですから、自分がしていることが気持ちに沿ったことなのか、それとも思考を反映させたものなのかを内省してみることが大切なのです。

私が感情と言う場合、愛の感情のことを指しています。それが思考を反映させたもので、考えが気持ちに反している場合には、愛情のないまま義務感から行動することになり、不幸な気分にさせます。

本の内容を要約すれば、エゴを克服することになりますか?

私達は幸福を追求しなければならず、それを発見するためには、我欲から解放されて愛情を発達させる必要がある、というのが本の概略です。

エゴは多くの形をとって現れます。私達は、利己主義な人とは、物質的に全てを所有したがり、自分が持っているものを分かち合いたくない人のことだと考えがちですが、利己主義とはそれよりもっとずっと範囲が広いのです。我欲には多くの側面があって、それらを認識できなければ、私達の生活を支配してしまい、苦悩に満ちた人生を生きることになるのです。

貴方にとって、エネルギーとは何ですか? 誰でもエネルギーを通すことができるのですか? そのために特別な訓練を受ける必要がありますか?

私にとってエネルギーとは、自然に存在しているものです。私達はみんなエネルギー体を持っています。私がエネルギーと言うときは、全ての人間が持っている生命エネルギーを意味しています。

誰もが肉体に活力を与える、エネルギー体を持っています。そして、そのエネルギー体も、感情的な葛藤の影響を受けるのです。そうすると、 その活力が低下し、その部位と連携していた肉体部分がのちに病気となってしまうのです。

これらの生命エネルギーを利用することによって、私達はエネルギーとの繋がりを元通りに戻そうとしてみることができます。

私達には誰もにエネルギーを伝送する潜在能力があります。通常、それは手を介して行われるので、以前は手かざしと呼ばれていましたが、今ではレイキや他の名前で呼ばれています。

これらは人間の潜在的な能力で、練習することや他者を助けたいという無私の願いを持つことで開発されていきます。つまり、だれにも何のチャンネルを開いてもらう必要はありませんし、まして、エネルギーを送ることでお金を取る行為は、私には、人間のエゴが明らかに見てとれるものに思います。エネルギーは誰もに自由で無料で与えられているものなのですから、私達もそれを無償で使わなくてはならないのです。

エネルギーの担い手になりたい人達は、自分自身にその力があり、誰かにどこかのチャクラを開いてもらうからではないのだと考えて欲しいと思います。そして、練習を重ねることで、スポーツと同じようにその能力が伸びていくのです。

エネルギーを送るには特定の知識が必要となりますか。

エネルギーを送るにあたっては、手をどこに置くべきか、エネルギー体がどのように構成されていて、どこにエネルギーの中核となるチャクラがあるのか、手はどのよう動かすべきなのかを教えられる技術があります。例えば、手の移動では、円を描くように動かす方が常により強力です。しかし、そのようなことを知るには、助言を与えてくれる本が沢山あるので、それらを読むことで学ぶことができます。最終的には、直感に従ってやってみることが一番効果的です。アストラル体の構造を知らなくても、痛い場所に手を置くだけでも充分手助けができます。

それから感性に委ねてみるのです。この能力を持って生まれて来た人や、それを直感的に見出した人は多く、何の知的な教育を受けていなくても、エネルギーを流すことができるのです。実際のところ、やろうとする意志さえあれば、知的であるよりも、はるかに多くのことを成し遂げることができるのです。

エネルギー治療を受ける人の多くが病気であったり、痛みや苦しみを抱えていますが、それらは、エネルギーを送る人にも影響を与えるものなのでしょうか? 

確かに、エネルギーを流す際に相手の不快感を感じることはありますし、時には、セッションを終えた時に少し疲れを感じることもあります。しかし、無私無欲でそれをすれば、不快感は短い間しか続かず、すぐに元通りに充電できます。なぜならこれは、自分自身の生命エネルギーを伝達しているのではなく、より高次のエネルギーを通すパイプとなるという発想だからです。

利他的に行う場合なら、悪影響を受けることはありません。 それどころか、自分にも恩恵をもたらすのです。

しかし、それでお金を儲けようとして利己的な目的で行うと、きっと自分自身の生命エネルギーをあげてしまうことになって、そうなってしまうと、本当に自分の健康に影響してしまうのです。自分自身の活力を消費してしまうと、病人が患っているような痛みが自分の身体にも現れるなど、問題が出てきてしまうのです。

他者の不快感が伝わってくるというのは、相手と繋がれる感受性があるということなので、肯定的なことです。今言ったように、相手の何かを感じ取っても、その感覚はじきに消えるので、いつまでもそれが自分に残るようなことはありません。患者に触れてその人と同じ症状になってしまう場合は、自分自身の問題を起動させてしまったようなもので、これとは別のことになります。自分もその問題に取り組む必要があることを、反映しているのです。時に他者というものは、自らを映し出す鏡の役目を担ってくれるので、不快感が持続する場合には、自分の中にもそのような問題あるということです。

だから私は、レイキかける上で一番きれいな状態は、自分自身の内面と取り組み内部を気持ちよく保つことで、我欲に支配されないように努力することだと思っています。

確かに人生においては、頭を悩ませる問題や苦しみとなる状況が多いので、いつも自分をいい状態に保つことは困難です。しかしながら、エネルギーを通そうとするその間だけは少なくとも、それらの問題全てから離れて、患者のために霊界の最も高次の存在たちからエネルギーを通してもらえるような受容の姿勢でいるべきなのです。

ネガティブなエネルギーも存在するのでしょうか?

我欲があると負のエネルギーを呼び寄せます。 愛に呼応する高い波動と我欲につきもののと低い波動とがあります。霊的な次元に移行したからといって、今よりいい人になる訳ではないのです。別の次元に行っても何の変容もせずに、そこで邪魔をするような霊もいるのです。でも、彼らの力が無限だという訳ではなく、自分自身が彼らを容認したときにしか影響されないのですが、それはつまり、自分が利己的に行動した場合に影響されてしまうということなのです。.人が利己的に振舞えば、その人がやっていることに同調するような霊を引きつけるのです。でも愛をもって行動する場合は、悪い影響を振り払うことができます。

それでは、身を守る必要はないのですか?

そうですね、私にとっては無私の志で物事を行うことが身を守ることになります。そうすれば、より高次の霊が協力してくれますので、その手助けを借りて、全てのことから守られることになります。

現状では全てのことが霊的なこととされるようですが、それについてどうお考えですか?

霊性に関することでは、1%が真実であり、残りは迷信や誤解です。例えばタロットなどは、お金を儲けるためのものであり、そのようなものが全てを台無しにしてしまうのです。

霊的だというレッテルが貼られているものの全てが真実ではありません。そこにも充分エゴが介在していて、正しくないことも沢山あります。全てが一緒くたにされてしまって、深く掘り下げてみなかった人は全部をごちゃまぜにしてしまうのです。そのせいで、霊的なものはどれも眉をひそめられてしまうのですが、実際に詐欺的なものの混ざってしまっているのです。「カードで占うから私も精神的なことを行っているわ」という人がいても、私にとっては「それが霊性とどういう関係があるの?」ということなのですが、多くの人は混同してしまっています。

次の本で目標にしたいことは、私にとっての霊性とそうではないものとを区別していくことです。なぜなら、多くの人が誤解をしていて、表面的にどれもいいものだと認めてしまっていますし、人々を混乱させてしまう余りにも多くの物事があるからです。

多くの人が霊性とは、魅力的な名称の新しい物事を習うための講習に参加することだと考えています。でもそれでは、見かけだけの表面的な変容しかもたらしません。 レイキやヨガを行うことによって、全てがなされていると思い込むのです。しかし、霊性というものは、内面の変革であり、それはつまり、我欲を克服して愛情を深めるということなのです。ヨガを行ったとしても、その後でいつものように我がままに行動し続けるのならば、それが一体何の役に立つのでしょう?

最近、様々な分野から同じメッセージが届くのです。表面化する全ての我欲を超越し、人類としての責任を自覚し、無条件の愛を貫くというものですが、全体的な進化のプロセスで大きな飛躍を遂げる時にきているのでしょうか。

そうですね。飛躍を望んでいる多くの人がいるので、進化するのに良い時期だと思います。 La 現代と過去の時代との違いは、この変化を願っている人々の数です。

しかし、私達がどこからスタートするのかを良く考えてみなければなりません。私達の出発の起点は、我欲に満ちた世界なのです。この世界を支配している人達は、利己的な価値観に基づいています。今の経済システムは完全に利己的なもので、一番多くを所有する人が他者を支配しているのです。私達が経験している経済危機も、特定の人達にコントロールされています。つまり、これは、偶然に派生しているとりとめない曖昧なものではないのです。一般市民にはこれが市場の問題だと思わせたいのですが、その背後には特定の人達がいて、彼らが危機を創出しているのです。

でも、ここから私達が肯定的な教訓を引き出すことができるのなら、私達の進化に役立つことと思います。なぜなら、成功に基づく人生をよしとする限り、今のような事態が起こりうる訳で、全てを無くすかもしれないことに気づけるからです。

私達は、それよりも、もっと永続的で重要なことを見出す必要があります。もっと私達の内面を満たしてくれるもので、そのために人生をかけてもいいと思えるものです。そして、私は、それが愛だど思うのです。

私達がこの世界に旅をしてきていて、何度も何度も訪れているのは、少しずつ我欲を放棄し、愛情を発達させるためなのだと思い出すことが大切です。もしも私達みんなが、このように変容しようと決めるのであれば、世界はきっと急速に変化することでしょう。でも、それは一年以内ではありませんので、2012年とはなりません...。また、特定の日付で何かが変わることもありません。 私は、それは緩やかな変化になると思っていますが、私達がみんなで変革を実現しようと頑張れば、数十年、あるいはどこかの世紀で、とても大きな変化が起こると思います。 魔法の杖を使って、現状よりもいい人達に私達を改善してくれるような、外部からの援助もありません。これは、自分達自身を変えることで、私達自身が成し遂げなければならないことなのです。

実際のところ、私達にできることは、自分自身を変えることだけですが、そうすることによって、他の人達も私達を真似てみんなが変容を決断することになるかもしれません。そして、多くの人達が自己改革を行えば、それが合わさって、集団としての変化をもたらすことができるのです。

私の願いは、私達の社会が愛に基づいたものになることです。どの人も兄弟のようになり、自分自身の幸せと同じ様に他者の幸福も喜べ合えるようになることです。

自分や愛する人の死が間近な人達には、何と声をかけられますか?

死というものは実際には存在しておらず、ただ状態が変化するだけだ、ということです。死で起こることは、肉体という古くなった服を脱ぎ捨て、私達の本当の故郷である霊界での生活に戻る、ということなのです。

霊的な世界に移行すれば、私達は誰もが、愛する人達と再会することができるのです。時には、死を待たずにして、それが可能です。というのも、霊魂は私達と交信して、自分達が大丈夫だと知らせることで私達を安心させて、私達が生活を継続できるようにしてくれるのです。このことはつまり、愛の絆が死によって断たれることはない、ということです。確かに物理的に一緒にいられない期間はありますが、死者の生活も継続していて、一般的にはここよりも向こう側のものの方がはるかにいいものなのです。

彼らのために怖れを持つことも嘆く必要もありません。時に家族は、愛する者が別の次元に行ってしまったからと苦悩しますが、あちら側に渡った者は、実際のところ全く問題がないのに自分のために苦しんでいる人達を見て、悲しむこともあるのです。

死は何も悪いことではありませんので、死によってそれほど苦しむべきではないと思います。

私達は逝ってしまった愛する人のために苦しみますが、その人がいない生活は一体どんなものになろうかとも苦悩します。

愛する人が生き続けていることを知ってはいても、その人の近くにいられずに恋しいと思うのは、普通のことです。でも私は、その人がまだ生きているので、いつかまた出会えるときがくると考えて、自分を慰めるべきだと思うのです。

また、私達が彼らと出会える時もあるのです。睡眠中に私達は身体から離れて、霊界に旅をします。向こう側に行ってしまった愛する人達を夢に見ることがありますが、その夢は、本当に体験したことの名残であって、私達が肉体に戻ったときにその経験をはっきりと自覚できないだけなのです。通常、そのような夢は、眠っていた間に彼らと交流していたという意味なのです。

死ぬ時に肉体を脱ぎ捨てるというのは理解できますが、形のないもの、つまり個性はどうなってしまうのですか? 個性というものは失われて、次の転生で変わるものなのでしょうか?

貴方はいつも貴方です。向こう側に渡ると分かるのですが、違いは、例えば今生ではエレーナという名前だったけれども、前世では別の名前で呼ばれていた、というようなものです。でも、貴方の性格や気持ち、意志などはどれも同じです。別次元にいても人格が変わる訳ではなく、いつも自分は自分です。

ですから、転生をしても、自分のままです。唯一変わるとすれば、一時的に幾つかの記憶を失ってしまいますが、性格や気持ちなどは継続します。

存在の概念に関しての混乱があるのは、私達がいつも人を身体と同一視していて、魂を別物だと見ているからです。が、実際には、私達が魂なのであって、肉体は衣に過ぎないのです。

別の次元に渡っても、貴方は今の貴方のままであり続けます。以前は秘められていた物事に気づけるようになるのが、違うだけです。盲人に生まれついた人が手術によって目が見えるようになっても、その人はその人のままです。以前は見ることができなかったことが見えるようになっただけで、同じ人です。

空間と時間という概念は地上におけるものだと思いますが、霊的な次元では時間が存在するのでしょうか?

別次元では、ここで考えるような時間の概念はありませんが、変化が起きるのは確かです。時間は、変化の強度を測定するための試みであると言えると思います。向こう側では、時間の概念が変わりますが、あることはあります。

霊的な次元はみんなにとって同じものですか?

向こう側に行く際に、どこに行くことになるかは、今生でどのような態度であったかによります。殺人者が完璧な世界に行く訳ではありません。霊界のもっと下層領域に行くことになって、同様な波長の霊魂と一緒になるのですが、同じ類の者と暮らすことになるので、お互いに苦しめ合います

しかし、それが永遠の状態である訳ではなくて、自分の過ちを自覚して変化する機会はいつもあるのです。そして変化を決意するなら、その時に支援を受けて、更生するチャンスを得るのです。そして、前世での間違いを修正するために再び生まれ変わるのです。

貴方は量子物理学で、いつか霊界のことを証明できる日が来ると思いますか?

そうは思いません。それは霊自体の固有の特性を器具で測定しようとするようなものです。 エネルギー変化を測定できるようにはなるかもしれませんし、精妙なエネルギーを測定し得る器具もできるかもしれませんが、それ以上は...量子医学や量子物理学が、もっと幅を広げて他のものに向けられていかない限り無理でしょう。

同じように私は、将来肉体に適用される治療が、光や振動などの性質のものであることを願っていますが、感情的葛藤を解消することが引き続き必要とされると思います。レイキのように、どんなに多くのエネルギー治療を施されても、それだけでは感情が原因となる病を治すことはできないのです。気の流れを元に戻そうとしても、その人が翌日にまた感情的に具合が悪くなればそれが中断されてしまうので、それ以上のことが必要だと思います。

慢性疾患は、それを患う人にとってもご家族にとっても、肉体的及び精神-感情的な疲労が大きいと思われますが、どのようなメッセージを伝えてあげられるでしょうか?

慢性疾患の中には、恒常的な感情的な葛藤が原因となってそうなってしまったものもありますので、そこから抜け出ることができたら、病気も解決できると思います。

しかし、先天性疾患などのように、人生の試練のような形で現れる病気があることも確かです。そのような性質の病は治りませんので、魂としてその試練を乗り越えるためにやってきて、進化するためにでき得る限りの努力をするのだと、受け容れた方がいいでしょう。いずれこの人生を終えれば、病気は肉体と共に消えるのです。

多くの場合、これらの病は他生で経験したことの結果であり、自分が行ったネガティブな物事を修正しようとしてそれを選んだか、内なる進化において役立つようにそう選択してきているのです。

それらは成長の機会なのですね...

まさにその通りなのです。どれもがそうなのです。それに、それらは自分が転生以前に決断したことで、望まないことを経験するように強制される人など誰もいないのです。それは学習を速く進める方法ですので、魂の中には、霊的な停滞を打破するためにそう選択することがあるのです。

転生をする時には、それ以前とその後で、いつも霊的な援助を受けます。 当然のことですが、霊的次元にいるときには、その助けはもっと直接的なものになります。この世界での援助は、直感的なものとなります。これは、自分自身で決断を下すことができるように配慮されたもので、より高次の存在から言われたからという義務感を与えないためです。そして、こうして、進化することができるのです。ガイド役たちは、精妙なやり方で助言を与えるに留まり、自分自身でどうしたいかを決定できるようにするのです。

認知症やアルツハイマーの場合には、頭は遠いところにあっても、魂は健在で...

時にそれらの病気は、感性を目覚めさせるための機会となります。場合によっては、頭の制御ができなくなるまで、感性を発達させることができないからです。

このような病気は否定的に見えても、その魂にとっては、人生の終わりに再び子どもに戻ることのできるチャンスなのです。

また、似た種類の病気として、人生で起こった苦しみを伴う出来事や、その人の良心がそっとしておいてくれないような出来事を忘れたいがためになってしまうものがあります。それらは、苦しみをもたらす記憶を忘れるための生理的なメカニズムです。

これも、一つの学びのチャンスです。特に感情を発達させるのに役立ちます。生涯にわたって大変頑なで、感情を表すことのなかった人が、頭がコントロールを失うと、子どものようになって感情を表現し始めることがあります。 中にはそれが悪いことだと思って「こんなになってしまって。子どもみたいだ」と言う人もいますが、実際には、その人は愛情を表すことができるようになってたので、良いことですし、それが最も重要なことなのです。

子どもを持った母親や父親、または教育者にはどのように伝えますか?

子どもの身になって考えてあげなさい、ということです。子ども達は非常に敏感なのです。私達は、彼らが子どもなので、多くのことに気づかないだろうと考えがちですが、実際には、彼らは偏見や防御が少ないので、大人よりも敏感なのです。

ですから私は、彼らが自由に愛を謳歌して育つことができるように努力しなければいけないと思います。子ども達が大人になった時に、その後に続く子ども達に同じ事をしてあげられるように、彼らをいつくしみ、理解してあげなければなりません。

私は子ども達が人類の未来だと思っていますので、愛に包まれて暮らせた子ども達を育成することができれば、この世界は一世代のうちに変化して、愛を経験した子どもの世代になるだろうと思うのです。霊的な自己改革に特別な焦点を当てて、子ども達が変われるようにするべきです。物分りの良い態度でいることが難しく、誰かを優先しなくてはならないときには、こどもを優先してあげるようにしましょう。なぜなら、子どもというものは、本当に、この世に生まれてくるときには何の構えもなくその潜在的な可能性を完全に開いたままでやってくるのです。それが段々閉じられてしまうか、またはもっと開いていけるかは、この世界に暮らしていく上で決まってくるのです。

大人の役割は、子どもが苦しみを避けようと心を閉じてしまうことのないようにすることで、自由に発達していけるような自由と愛情とを与えてあげることなのです。

注意欠陥症や多動症と判断される子どもがますます増えていますが、それに関してどうお考えですか。

私は、それが周囲の環境問題や家族内でのトラブルを反映しているのでは、と思います。子どもは多くの場合に、それを安全弁として利用します。

多くの場合、問題を抱えているのは子どもではなく、子どもに理解を示してやれず辛抱強くなれない両親だったりします。活動の激しい子どもがいるのは、おとなしい子どもや、うるさい子どもや、勉強好きの子どもがいるのと同じように普通のことで、病気ではありません。

一般的には、それは私が言うように、子どもが愛したり構ったりしてもらえないことの反映です。 残念ながら、子どもは悪いことをした場合にだけ注目してもらえることが多いのです。悲しいことですよね? そして、薬を与えれば何かが解決すると考えるのですが、実際にはそれは一時しのぎに過ぎないのです。

そして、これほど多くの子ども達が薬漬けになっているという事実が、子どもに対する共感と理解がないことを反映しています。大半の人達は、子どもの世話をみるのが面倒だと感じているのです。と、いうのも、子どもを愛すというのは、物的に満たしてあげるだけのことではなく、その子の内面にも配慮することだからです。でも、多くの両親は自分自身のことに夢中で、この側面を忘れてしまい、 子どもの感情面も自分のも 大切にしないのです。そして、そういう大人の欲求不満の問題が、それとは何の関係もない子ども達の上に降りかかってきてしまうのです

子どもを多動症だと診断する前に、両親を診断してみる必要があるかもしれません...

医療の専門家にはどういうメッセージを送られますか?

今日においては、身体がどうなっているかを良く調べますが、内面の精神的な部分は何も見てくれません。ですが、その精神的な部分を見ようとしない限りは、病気を治すことはできずに、応急処置をしているだけなのです。残念ながら、現在のような医療システムでは、このような変化が起こり得るのは大変難しいことでしょう。すべてがベルト・コンベア化していて、一人ひとりにかけられる時間が少ないですから。

でも、色々いいこともあります。良い面のこともお話ししなければなりませんね。50年前と比べれば、私達はとても大きく進歩したのです。でも、それで止まってしまってはいけないですよね。今のところ、がんのような課題では、停滞してしまっています。 これは、新しい発見で貢献してくれる人がいないからではなく、そのような人達はいるのですが、改善策が定着することを許さない人間の我欲のせいなのです。しかし、これも時間の経過とともに変化していくことと期待しています。

もしかすると、新しくするには、現在のものがまるごとなくなる必要があるのかもしれません。 ある時点で、治療のすべてのつけを支払うことができなくなって、新しい策を見つける必要がでてくるかもしれません。

『魂の法則』以前と以後とでは、ご自身の人生が変わりましたか? 貴方はどのように変わりましたか?

実を言えば、確かに私達の生活をかなり変えはしましたが、その変化は段階的なもので、一夜にして変わった訳ではありません。10年前のことを思えば、私の人生は大きく変わりました...

それ以前の私は、家族のことや仕事に専念して、名を知られることもなく簡素な目立たない生活をしていました。しかし、『魂の法則』を発表することで、私も妻も人に知られることになり、多くの人々が助けを求めてやってきました。それらに対処するには、かなりの勉強と献身、責任が必要とされます。

私の人生における責任は、千倍くらいに膨れ上がりました。でも、その甲斐はありました。というのは、本のメッセージが他者の助けとなるようにというのが意図だった訳ですが、本当にそうなっていると思えるからです。多くの人々がこの本のことで、私と妻に感謝をしてくれました。 ですから、私の人生における変化は、願われ望まれたものなので、それには何の後悔もありません。

私達の存在理由は何のためだと理解されていますか?

愛を発達させて進化するためです。私達は感情を発達させるためにやってくるのです。そして、一回一回の人生で少しずつそれを学んでいくのです。学べ切れなかったことは、次回へ持ち越されます。そして、乗り越えて学んだことは合格できたこととして、その知識は永遠に私達のものとなります。私達はもっと愛情深くなるのです。こうして、少しずつ、全く愛がなかった状態から、道のりの最終目標である無条件の愛を経験できるようになっていくのです。私達はみんな、この大変長い道のりを歩まねばなりません...

言うのはとても簡単ですが、実行するのは とても難しいですね!

はっはっは。確かに。でも、私達がしたくないことは誰からも強制されることはありませんし、それに締め切りの日時がある訳でもないです。それぞれの人が望む速さで進むのですし、時間はいくらでもあるのです。私達は不死なのですから。

ヴィセント ギリェムは、本質的には誰ですか?

みんなと同じように進化するためにやって来た魂で、そのことをすごく真剣に考えていて、出来る限り、感じる限りのことをしようとしているものだ。

他に何か私達と共有されたいことがありますか?

私達は、この世にはただ単に仕事をする以外にやってきているのです。住宅ローンを払ったり、もっとセクシーになったり、成功するためだけではありません。それらは重要ではないのです。 重要なのは、感情を発達させることで、私達は唯一それだけを向こう側に携えていくことができるのです。ですから、それ以上にやりがいのあることはありません。タイムリミットなどありません。年を取っているからもう変われないと思い込んでいる人がいますが、そうではありません。90歳であろうと、構いません。いつでも感情を大切に生き始めるのにふさわしい時です。

いつでも内的な変容を開始することができるのです。 

自分自身の自由と幸せを追求してください。愛して、幸せになる努力をしてください。それだけが唯一、人生でやりがいのあることです。皆さん、ありがとう。

 

De tots els Colors後書き>

ヴィセントさん、力強く寛大で勇敢なお話に心より感謝いたします。愛における学びを私達と分かち合ってくださってありがとうございます。私達の人生を向上させてくださるために、シンプルかつ謙虚に、一貫性をもって、貴方の人生を捧げてくださることに感謝します。

貴方と奥様に、最善をお祈りいたします。光と愛がいつもお二人と共にありますように。

17.5.2013 掲載