Q&A

『魂の法則』・『愛の法則』に関するご質問で、多くの方と共有できそうなものを採用させていただきます。個人的な相談や両書と無関係な内容は受け付けられませんので、ご了承ください。


20161月5日 地球の霊的アセンションについて


 <質問>『愛の法則』p265の「近く到来する変化の根本的なものは霊的なもので、これは特定の年や日付に限定されるものではなく、何百年にも及ぶ時代を包括するものなのだ」の文面では、具体的にはどのようなことをイザヤは言っていたのでしょうか?
  
<回答> より進化している(愛の度量の大きい)新しい世代の子ども達が生まれてくるので、地球の意識が少しずつ変わっていって、人類全体としても進化の飛躍を遂げられるようになるということ。これが、地球の霊的なアセンションだ。
 

 
2015年915日 お葬式などに出席しないことについて

<質問> 親戚や知人が亡くなった場合、お通夜お葬式などに出席しないことは許されないことでしょうか?それが両親だったらどうでしょうか?
 スピリチュアル系の本を何冊も読んでみて、死者に対する気持ちを持っているならば、(うまく言葉にできませんが)お葬式等に出席するかどうかは重要ではないのではないか、と思うようになりました。絶縁状態の親族がおり(絶縁状態というのが良くないことはわかっていますが)、このような質問をさせていただきました。

<回答> 僕たち人間は、儀式というものを極端に重要視してしまっていて、心が伴うかは二の次になってしまっている。

 愛していたのなら、お葬式に行かなかったとしても、いつどこにいようとも、故人を思い出すものだし、逆に愛していなかったのなら、お葬式に出たとしても、思い出してあげれないものだ。お葬式は慣習なので、心が伴わなくても出席できるものだからね。

 霊的な世界では、儀式というのは何の意味もない。お墓に入るものは使い古した衣に過ぎないので、義理でお葬式に出ることや特定の日にお墓にお供え物を持っていくことは、故人には何の役にも立たない。
 それに対して、人に対する想いは、とても大事だ。だから、関係を改善する余地があるのなら、大切な人たちとの確執を解消することの方が大事になる。
 もう亡くなってしまった人たちとの間に解決しなければならないことがあって、語りかけたい衝動を感じるのなら、彼らはいつでも僕たちの想いを聞き取ることができるのだから、頭の中で話しかけてみよう。そして、もし、まだ生きている人たちとの間に問題があるのなら、その人たちと対話をもってわだかまりを解消するように努めよう。
 
 

612日 スピリチュアルカウンセリング(高次の存在の名を語る)の商売について

<質問> 霊性を商売にしてはいけないと言われていますが、以前何もかもがうまく行かず、どこに相談してよいのかわからなかった時に、あるスピリチュアルカウンセラーのメッセージをもとに現実を良い方向へ変えることができました。対価も納得できるものでしたが、それでもスピリチュアルな商売はいけませんか。また高次元から見た場合、それは神聖なエネルギーとは言えないのでしょうか。ネット上にも商業用のサイトは沢山ありますが、相談者が自ら進んで自由意志で支払うのもいけませんか。

 <回答> 僕が重要視しているのは、人助けに金銭的な見返りを受け取るべきかという問題ではなく、人間がそういうことに霊的世界を巻き込んでいいのかということだ。
  たとえば、診療内科医は患者をサポートしながらサービス料を受け取って、それを職業としている。もちろん、その患者も納得してそうしているわけで、それは何も悪いことではない。でも、そのカウンセラーが 「あなたに話していることは、本当は私ではなく神や精霊からのアドバイスなのだが、お金は私に支払ってください」と言ったとしたらどうだろうか? 僕たちを助けてくれる神や精霊もお金を受け取ることに賛成なのだと理解すべきなのだろうか? 
 さらに、対価が欲しいために霊界を持ち出す人には、一体どういう意図があるのだろうか? そういう姿勢は無条件の愛の行為と言えるのだろうか、それとも利己的でエゴ的な行為なのだろうか? 
 チャネラーもしくは巫女と呼ばれるその人が利益のためにやっているならば、その人は霊的世界からの真の使者だと言えるのだろうか? たとえば、もしイエスがお金を取って人を癒してあげていたなら、果たして人びとは彼を神の使者だと認めたであろうか? また霊界が、彼の奇跡に力を貸すことがあっただろうか?
 人間の心理を熟知しているチャネラーであれば、クライアントの助けになることを言えることもある。お客の反応を見るのが面白いので寄ってくる未発達の霊たちのお陰で、お客の過去を言い当てることのできる人たちも実際に存在する。さらに、家族と連絡を取りたくてたまらない故人が、商売にされていることを面白く思わないながらも、霊媒の力を借りて家族にコンタクトしたいがために寄ってくることもある。
 だが、人助けだと言いながら、神・イエス・聖母マリア・天使・聖人などの高次の霊をチャネリングしているという人は、嘘をついているのだと言っておく。なぜなら、高次の存在というものは、そのようなことに手は貸さないし、貸したとしてもお金を引き換えに求めることなどないからだ
 レイキなどのエネルギー療法の場合については充分に説明したので、ここでは割愛させてもらう。(『魂の法則』の「でも、有料レイキに効果はあるのですか、ないのですか?」という質問への回答を見てほしい)
 これは本でも説明していることだが、人は誰しも霊的な世界との繫がりを持っていて、自分から頼みさえすれば、必要とする援助が受け取れるものだ。また、恵まれた能力を正しく使って霊界からのメッセージや助言を伝えようとする人が本当に真摯な霊媒であり、高次の存在たちが彼らを選ぶのは、彼らがそれに相応しい人であるからだ。
 真偽の怪しい霊的なメッセージにお金を払おうとする人がいる限り、霊的世界もそれを奨励していると思い込んでいる無知な人びとを利用する者が後を断たないことだろう。でも霊的世界は、そういうことも自由意志を尊重して放任しておくのだ。
 セッションにお金を支払うこと自体は、霊的な観点からはペナルティーにはならない。霊界から無料で与えられるものに敢えてお金を支払っているので、地上の人間に騙されているというだけのことだ。だが、高次の存在を商売に利用しようとする霊媒は自分の能力を正しく用いてはおらず、いい加減なことで惑わして損害を与えることもあるので、霊界で問いただされることになるだろう。


6月2日 アストラル・トリップについて
<質問> ストレッチをしたりマントラを唱える方法などを試行錯誤していますが、完全な離脱が達成できません。ヴィセントさんは、どうしましたか?参考にしたいと思います。

<回答>  アストラル・トリップ(幽体離脱)をするための方法はいろいろあるけれども、どれを使っても構わない。決め手になるのは、テクニックよりも自分の意思や感度や根気だからだ。

 でも、一応僕のやり方を伝えておこう。とても単純な方法で、想像力(イメージ)を駆使する練習法だ。

 ここで一番大事になるのは、短期間に結果が得られないからといって落ち込まないこと。忍耐強く根気強く、訓練を続ける必要がある。またアストラル・トリップは、単なる興味本位の暇つぶしとして行うべきものではないと充分に心得ておくことだ。愛において成長するためにその経験を役立たせたいという気持ちから、神やガイド霊にそこから体験できることで自分自身を成長させてほしいと願わないといけない。それから、感受性を高めて、創造の他の存在たちとの一体感を味わおうとすることもとても大切だ。

 テクニックに関しては、次の通りだ。

 最初に自分の呼吸に集中して、自分の身体が一呼吸ごとにだんだんと重くなっていくことをイメージする。およそ20分くらいかけて、自分の肉体が石のように感じられるようになったら、今度は全く逆のことをする。つまり、自分自身、自分のアストラル体が一枚の羽のように軽くなって、肉体から離れていくことをイメージする。これにも約20分程かける。頭に浮かぶ雑念は退けて、今僕が説明しているプロセスだけに集中しないといけない。

 想像力を使って、あたかも自分が身体から抜け出て、旅するようにイメージしてみる。外から自分自身の肉体を見ているところを想像する。自分の家の屋根を突き抜け、空に昇っていくところをイメージするんだ。そして更に上昇して、自分の家を見る。自分の町を見てみる。空を飛んでいるように。そして時どき、立ち止まって、実際に体験したらどうだろうかと、できる限り具体的にはっきりと想像してみる。

 僕は、そのようにして、太陽系の惑星から惑星へと旅していった。太陽系の内側から、外側へと。一つ一つの惑星で足を止め、それぞれの惑星に存在する生命を感じ取ろうとした。それらの存在すべてが僕の兄弟に思えた。

 こうして、太陽系の外側へと旅していって、銀河の中に入る。銀河が外からどう見えるかを想像してほしい。その胎動、波動、その中の無数の生命の息吹を感じてみる。

 このように練習を繰り返していると、空想の中で宇宙の全存在と繫がってみたいと心から望んだことがしまいに本当になって、離脱することができた。でも、そのためには、忍耐強く続けないといけない。
 初めのうちは、すべてをヴィジュアル化できなくても構わない。好きなときに終了させてしまってもいい。まず、両足をくすぐるような微妙な感覚に気づくだろう。そのうち、だんだんと肉体ではなくアストラル体の感覚に気付けるようになる。こうして訓練していくうちに、少しずつその感覚が増していって、ついに離脱に成功する。肉体の感覚を失って、代わりに自分自身が振動に包まれたかと思うと、すごい勢いで離脱が起きる。
 以上が僕が経験したことだ。でも、個人個人によって違うので、様々な体験があることだろう。僕の話が少しでも役に立てば嬉しい。
 最後に一つ、忘れてほしくないことを言っておく。霊性において重要なのは、感情を発展させてエゴを排斥する努力をすることに尽きる。このことを忘れて、幽体離脱ができるかできないかを問題にしないことだ。そういう能力は、特に、自分の感情を発達させて他者を助けたいと思う意志の力で、目覚めやすいのだ。


 
529日 愛に関するもの
<質問> 未婚女性ですが、既婚男性を好きでいます。男性は最初から離婚はできないと言っていましたが、親しくつき合っていました。しかし先日、義務的な雰囲気を漂わせて、夫婦に子どもができたと伝えられました。そういう計画をしていたから、そうしたと。ショックでしたが、私はどのような状況でも彼に対するこれまで通りの感情を持ち続けていきたいと思っています。これは愛の法則に則っているのでしょうか?単なる相手に対しての執着なのでしょうか?

<回答> この場合は逆に、「君の恋人が別の関係(結婚の)を保とうとして君たちの関係を隠しておこうとするときに、一体どの程度君を愛していると言えるのだろうか?」と考えてみたらどうだろうか。
 僕は、人が本当に愛する場合には自分のその感情のために闘おうとするものだし、既成の誤った価値観や怖れ(人にどう思われるだろうか、など)によって、自分の想いに従って生きることを阻まれないようにするものだと思っている。
 結局のところ、自分の本当の気持ちは自分にしかわからないので、関係を続けていくべきかどうかの決断は全くプライベートなものだ。
 君に対する、相手の本当の気持ちを知ることも大切になる。そのために、お互いに包み隠さず正直になって、二人で話し合ってみないといけない。 
 このケースでは、相手が君を愛していないことが明らかになっても君がまだその関係を続けたいという場合に、君に執着があることになる。

3 件のコメント:

  1. このところ世界中で、ISの台頭、自爆テロ、ミサイル攻撃など、いたるところできな臭い対立が激化しています。比較的平和な日本にいても、世界の行く末がとても心配です。なんの力もない一市民ながら、何か平和のために少しでも出来る事はないだろうかと考えずにはいられません。何有効な活動はないものでしょうか?

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    1. ヴィセントさんに質問してみますね。「管理人」

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  2. 「魂の法則」を読んで、レイキの話がありましたが、ヴィセントさんがイザヤ氏の話を聞いた時は、すでにレイキを知っておられたのですよね?
    話を聞く前からすでにレイキを習われていて、あるいはレイキの施術を無料でされていて、有料でやっている人について違和感を持っていたのではないでしょうか?
    あのやりとりを読んでいると、ヴィセントさんの思いをイザヤ氏が代弁しているかのように感じました。

    無条件の愛なら無料だという考え方には、とても共感します。ただそれが、レイキなどだけというのは、ちょっと理解できません。
    どんな仕事でも、他人の役に立つからお代がいただけます。そのとき、その人の守護霊はまったく導いていないのでしょうか?
    また、その人が生きること、活動することに、生体エネルギーは使われないのでしょうか?
    もし守護霊がいつでも導いていて、いつでも生体エネルギーが使われているのなら、それでお代をいただくことは良いことなのでしょうか? 愛と呼べるのでしょうか? それとも、仕事は愛ではないのでしょうか?
    レイキをすることとどう違うのかがわかりません。程度の違いにしか思えないのです。

    たとえばレイキを無料でやりたいがために、やりたくもないセールス業をやるとしたら、人生の大半をやりたくもない仕事をして過ごすことになります。それが本当の人生と言えるのでしょうか?
    それだったら、やりたいレイキを正業にすることで、人生がやりたいことだけやって過ごせるようになり、自分も相手も幸せになれる。そういう考え方はおかしいのでしょうか?

    私は、いずれは無償で物やサービスを提供するという、無条件の愛の社会になると思っています。
    でも、今はまだ過渡期なので、なかなかそれができません。中には、そういう生き方を選択し、それでも生活できている人もいますが、ほとんどの人はそうではありません。
    ですから、お金をもらうなという命令はちょっと行き過ぎで、その方が好ましいくらいではないかと考えています。

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