第三:霊的裁きの法則

他者にすることは、自分自身にもすることになる。
魂が自分の過ち(万物の生命に反する行為)を自覚し、それを償えれば、霊的に進歩できる。
(以下、概略)
*この世は理不尽だと思いませんか。
 今生はこれまでの連載ものの続編で、ふさわしい結末であると考えられれば、不公平に思えた事柄を次第に理解できるだろう。各人の今生の環境の違いは宿命の産物に思えるが、実は、これまでの前世に起因するのだ。
 宇宙的な因果の法則があり、魂は与えたものと同じものを受け取る。魂は自らが創り出した状況に立ち向かってそれらを解決しない限り前進できず幸せになれないので、人生で直面する逆境の多くは、前世で自分が作り出した原因の帰結なのだ。行為の一つ一つがそれぞれの結果をもたらし、遅かれ早かれそれらが自分に影響することを知らねばならない。他者にすることは、私たち自身にもすることになるのだ。
 各人がそれぞれの行為と向き合うことになるというのが霊的裁きの基本であり、自分の行為の結果を経験した後で、それを修正するかを決めるのは本人だ。
*行為が、霊的進化にどう反映されるのですか。
 「愛の法則」に賛同する行為は魂の波動を高め、高いアストラル界域まで上昇することを可能とするが、「愛の法則」に反するものなら、上昇を阻むおもりとなる。
 特定の行為の結果は直ぐには顕れないので、犯罪者が生存中に罪を償わなければ、裁きがないような印象を与える。しかし人帳尻が合わされなかった借金は、以後の転生に持ち越され、死刑執行人が犠牲者となり得るのだ。地上での裁きが解決せずに残したものは、霊的な裁きが解決するということに、疑問の余地はないが、これは懲らしめのためではなく、教えるためのものだ。
*なぜ行為とその結果との間に、時間のズレがあるのですか。
 反作用は行為の瞬間に起動するが、直ちに効果を発揮しない。「魂の法則」に賛同するものなら、「霊的な褒美」を受け取り、反するものなら「霊的な負債」を負うことになる。
 「魂の法則」に則った行為の「収穫」は、自分を試す人生が終わるまで延期されても、いつかは妥当な代償を授かり、高い次元まで昇って行くことを可能とする。
 負債の場合には、償いは魂が自己の言動を自覚し自発的に損害を決意するまで延期されるが、進歩するには遅かれ早かれそれに立ち向かい、罪業を償わなければならない。
 
*どう自覚するのでしょうか。
 死後、最後の転生中に起こったことを徹底的に振り返らされ、自分の気持ちのみならず、自分の行為に影響を受けた他の人たちの感情や情緒も感じ取る。生存中の決断の重要性に気づいて、進化に役立てるためだ。愛を持って行動したのか、我欲で行動したのかを振り返り、取り組んだ科目のどれに合格し、どれに落第したのかを知る。
 高次の霊の助けを得て、自分自身で判定するのだ。魂は霊的に明晰な状態にいるので、自分をえこひいきするような行動はとらない。その状態で、現実をありのままに完全に公平に見れるのだ。
 そして、自分の悪い言動を修正してその後の転生で克服できるように準備をして、能力に応じた償いのための試練を選ぶのだ。それは、魂が選びたい方法による。ゆっくりだが時間がかかる修復もある一方で、試練はきついがもっと速く進化するために役立つものもある。
 
*直ぐ次の生で、前世の行為の修復に取り組むのですか。
 矯正する意図の全くない魂が沢山いるので、そうとは限らない。
 また、初めは意志力が弱いので、厳しい試練には耐えられない。きつい試練に立ち向かう本当の贖罪のための転生は、魂に充分用意が整って、確固とした改善の意志を持った時にやって来る。
*「負債を持つ」魂には、どんな試練が待っていますか。
 一般に、前世で自分が生み出したのと類似した状況を、自分が身を持って体験し自覚して、罪の償いに尽くす。自分がまいた種を刈り取るのだ。
 正しい行いを確信できるのなら、全く怖くはなく、報酬を待ち望むであろう。
 しかし我欲で他者を足蹴にしたのだったら、収穫する気にはならない。
 これは、違反者を罰する「目には目を」ではなく、魂の進化を促進させるのが目的だ。「霊的裁きの法則」は、我々が学び取れるような方法で、各人をそれぞれの行為と向き合わせてくれる。文字通り同じ状態を経験する必要はないものの、それが速い習得法なので多くがそうしている。
 試練の厳しさは、本人がどれだけ早く借金を返済したいのかと、試練を乗り越える力があるかどうかによる。試練は、魂にそれを乗り越える準備が整った時にだけ訪れる。
 負債を支払うための選択肢の中からどれを選ぶかは、自分の決定による。時間はかからないが高額な分割金で返済することも、時間はかかるが低額な分割金で払い戻すことも可能だ。
 霊的世界では、いつも次のチャンスがある、更生の機会は無数にある。
*キリスト教義の永遠の刑罰や懲戒の信念はどこから生まれたのでしょうか。
 永遠の懲罰の概念は、神聖な源から発したものでない。根拠に欠け、霊的な真相に一致していない。不合理な怖れで人びとを支配しようとした、聖職階層が導入した誤った教えの一つに過ぎない。
 他者の霊道の探求に寄与する指導役を自負する者が、そうするどころか、人びとをさらに混乱させ、思考を操作して愚かにし、弱点を利用して自らの地位を上げたのだ。
 
*人生の悲惨な出来事は、事前の打診もなく強制されたものだ、と感じるのはなぜでしょう。
 生まれ変わる前に決めたことで肉体に宿ると過去を忘れてしまうので、自分ではその決断に関与していないと思ってしまうのだ。
 理解できないだろうが、進化の決意をした多くの魂は、非常に困難な状況に立ち向うのだ。その人たちは、更生しようと深く肯定的に改心した魂であり、それほどの試練に直面すること自体がかなり進んだレベルに達したということだ。
 
*否定的な状況の全てが、過去の行為の結果ですか。
 そうではなく、多くは今生の行為の直接的な結果だ。自分が生まれ変わった惑星の進化レベルに特有のものもある。
 負債がない魂でも、贖罪とは関係のない逆境を経験することは頻繁にあるが、そうするかは魂が自由に選択する。苦しむのが楽しいからそうするのではなく、それによって霊的な進歩ができるのだ。このような選択は進化した魂特有のもので、後進の同胞を助けるために転生して導き、同時に、自分自身もさらに速い進歩を遂げようとする。無償の愛の能力が試されるいい機会だからだ。
*飢餓や貧困や戦争など 許せない物事があります。
 非人道的なことは数多くあるが、それらは地球に転生した魂たちが生み出したもので、撲滅する努力をするのは、人間自身でなくてはならない。
 霊的な進歩は、何の強制も強要もされず、魂自身の自由意志と努力で決断されて、内面に取り入れられた時にだけに起こる。 
 ある問題を解決しようと全能の存在がこの世に現れたとしても、その決断が全ての者の意向に沿う訳ではないので、損をしたと思う不平分子は、常にいることだろう。
 全ての災いを根絶する唯一の方法は、一人ひとりの心から我欲を一掃することだが、エゴの毒を解毒できるのは、愛だけなのだ。
 高次の魂は、いつでも応援するために傍にいるのだが、君たち自身の意志で、率先して行わなければならない。決断しさえすれば、運命の方向を変える力があるのだ。
 
*もっと大きな災いを避けるためには仕方がない、と戦争を正当化することはどうですか。
 
 本当に平和や自由を愛するならば、自分が主張することと反対のことをしてはならないだろう。手段は求める目的と合致しているべきで、目的によってその手段が正当化されることなどあり得ない。戦争によって平和は実現できないし、強制によって自由を得たり、不正によって正義を得ることも不可能だ。
*人びとは平和を望んでいるのに、一部の権力者たちが戦争を決定してしまいます。
 なぜ望むことと反対のことをする者に権力を渡すのか?
 君たちの世界の腹黒い支配者たちが、国民を戦争に招集したとしても、銃を取る者も他者に強要する者も一人もいないとしたら、何できない筈だ。しかし、もしそれが可能なら、それは君たちのエゴがそそのかされてしまうからだ。自分が同類の命を奪う権利があると納得させられてしまう者の問題なのだ。
 霊的世界では、出来事自体はそれほど重要ではなく、その時の意図が重要なのだ。殺すつもりのなかった者を、殺意を抱いていた者と、同じように裁くことはできないが、人が戦争に赴く時には、いつかは他の人間を殺したり、自分が死ぬ羽目になると、完全に自覚している。
 「愛の法則」の信奉者ならば、絶対に自ら進んで入隊などしない。殺人を正当化し得るほど高尚な理念や信仰は、何一つ存在しないからだ。
 
*多くの人びとが前線に赴くように強要されます。
 進退窮まることなので、自分の信念が試される、大変厳しい試練である。
 霊的世界では、勇敢なのは、平和主義者であり、兵役忌避者である。見知らぬ者の命を守るために、死ぬまで自軍に迫害されることになるだろうと知りつつ自らの命を危険にさらすので、勇者なのだ。
 どちらを選ぶかを決めるのは魂だ兄弟の殺害を拒んだために、利己主義者に報復されて地上で一時的に苦しむが、霊界で報酬を授かるのか。それとも、ヒーローとして地上で報われるが、兄弟を傷つけたために、後で霊界で苦しむのか。
 
*ナチスが世界を征服するがままにさせておくべきだったのですか。
 君たちが知り得る人類の歴史の知識は、過大に操作されたものだ。
 多くの者が未だに、戦争には善い陣営と悪い陣営があると思っている。戦争は、一朝一夕にはでき上がらないのだ。実際には武力抗争が始まるずっと以前から練り上げられるもので、嘆かわしいことに、二つの勢力は武装するために予め協力し合い、それから破壊し合うために敵対するのだ。
 大規模な戦争は、国民が極度の困窮に陥るような、深刻な経済危機の後に起こってきた。これらの経済危機は偶然に派生したのではなく、他者の犠牲の上に私腹を肥やして、さらに大きな力を得ようするごく少数のグループによって意図的に誘発されたものだ。
 彼らは、悪の根源は、人種・宗教・信仰・文化などの違いがある人たちなのだと吹聴するために、自分たちの広報メディアに極端な理念を流布させるのだが、そうできるのは、君たちの我欲をそそのかすことに成功するからだ。
*戦争の主犯者たちは、霊的に莫大な借金を負いますね。
 彼らは、侵略や戦争を企てて、躊躇せずに不和や憎しみを国民の間にばらまき、おまけに厚顔にもそれを、神や民主主義や自由やその他の高尚な名目の下に行って、それらの理念を汚がしているのだ。
 物質界で権力があっても、霊界での地位は、お金や権力ではなく、どれだけ愛の能力を開発できたかだけで決まる。霊界で、自分のせいで死んだり苦しんだりした者たちが、自分よりも上のレベルにいるのを見れば、なんという失望を味わうことだろう! 自分が招いた苦しみの分だけ、苦しみを受けるのだ!
*犠牲者には何と言ってあげますか。
 物質的なもの肉体の命を失うことに執着してはならない。それらは全て、仮初めなものだ。
 君たちは不死なので、誰にも君たちを殺すことができない。君たちが本当の生である霊界に戻った時には、全ての苦しみが癒されて、全ての傷も治されるのだ。
 災いの全てが、同胞の苦悩に敏感になることに役立ち、同じ経験を誰もくりかえさないようにと願えるのであれば、それは愛せるようになったということで、無駄ではなかった。