2015年2月6日金曜日

21 愛の法則から見た十戒 3

*すでに肉体のないこのような存在たちに状況を把握してもらって、霊的次元で自分の道を進んで行ってもらえるように手助けすることはできるのでしょうか?

 それは君たちによるというよりは、彼ら次第だ。なぜなら、霊的な次元では、その移行に必要とされる援助が得られるのだが、時々、物的な世界との繫がりを断ち切り難い場合があるのだ。そういう場合、支援する魂たちは、彼らが自分自身の意志で歩み続けることを決めるまで、見守っている。
 また、そのような境遇の存在たちは思考を読むことができるので、声に出さずに頭の中で話しかけてみることも有効だ。彼らの置かれた立場―つまり、もう肉体的な生を終えたこと(中にはあまりに混乱していて、自分が肉体を離脱したこともわかっていない者がいるのだ)―や、その場所に永久的に留まっているのは不可能なことを説明し、霊的な世界の仲間や愛する者たちに助けてもらうべきだと諭すのだ。
 何よりの助けとなるのは、彼らを亡くしたことによる悲痛や悲嘆の感情を避けることである。というのも、準備不足の者は、それが原因で、留まってしまうからだ。肉体を失った者は、愛する者たちが自分がいなくなったことで悲しみに暮れているのを見ると、哀れに思い、その状態で独りにさせてしまうのを辛く感じるものだ。だから、喪失感と悲しみを乗り越えることが、彼らを心置きなく立ち去らせてあげることになるのである。

*仲立ちをしてくれる霊媒や予知能力者を通して、死んでしまった家族と交信できるでしょうか?
 
 故人は、人の最も敏感な時を選んで別れを告げたがるものなので、コンタクトは、夢の中やはっきり意識できる体験として、自然に起こり得る。コンタクトが自然に起きないのであれば、あえてそれを強いる必要はない。
 たまに、故人との交信を強く渇望するあまり、それを利用する者の手に落ちてしまうことがある。事前に一定額を支払うことで、死者との待望のコンタクトを取ってあげると口約束されるのだが、大概それは偽物であり、ただの演技に過ぎないのだ。
 愛する故人からの連絡の形跡がすぐになくても、心配には及ばない。死というものは存在しないのである。連絡がなかったとしても、他界した人は、そのまま霊的な次元で生き続けている。
 君たち自身の準備が整っていないために、連絡が取れないこともある。たいていの場合、君たちはあまりに悲嘆に暮れていて、愛する故人が伝えたいと思うことを受け取る余裕がない。そういう時にコンタクトがあっても、喪失感が増して、別れ難い思いをズルズルと引きずり、辛くなるばかりだろう。だが、悲しみを克服すれば、切望することが叶うかもしれない。
 睡眠中は皆、身体から離れられるので、愛する者たちがいるところへ赴くことができる。敏感で感受性が高ければ、その経験を覚えていることが可能となろう。

*では、手相見やタロットや同様の手法で、未来や過去を言い当てられると言う人や予知者のことをどう思われますか?
 
 未来は白紙である。いわゆる「アカシックレコード」と呼ばれる、個人の過去の記録や未来の可能性にアクセスすることは可能だが、それはとても制限されている。肉体を持った者は、当人の進化のために有益となる場合に限り、特別に自分個人の記録を見ることが許されるが、他人のものにはアクセスできない。
 アクセスは通常眠っている間に起こり、その体験は夢として記憶されたり、予感となったり、深くリラックスしている状態でビジョンとなって現れることもある。しかし、それができるのは自分が望んだ時ではなく、霊的世界がそうした方がよいと判断した時だ。
 人は大概、好奇心や欲心や利己的な関心から、自分の過去や未来のことを知りたがるが、霊的なガイドたちは、君たちのそのような動機を満たすために、この知識にアクセスさせてくれるのでないと、はっきり伝えておこう。
 それなのに、他人のアカシックレコードに入り込めると言っている人たちの数の多さには、全くびっくりさせられる。その多くが、事前に一定額を受け取っているのだが、いい加減にカードを並べたり、適当に本のページを開いたり、生贄にした動物の内臓の配置に意味を見出したり、あるいは他のゲームや多少不快な儀式をするだけで、いともたやすくその人の過去や未来を知ることが可能だとする。もちろんのことだが、このようなことはすべて嘘だ。

*でも、予知者の中には、言い当てられる人もいますよね。
 
 ほとんどの場合は当たらない。当たるように見えるのは、透視力を持つと自称する者が狡猾で、クライアントを持ち上げるのが上手く、その人から情報を引き出して返答したり、お客が聞きたいことを言うのに長けているからだ。お客を満足させれば、今後もセッションの代金を払ってくれる顧客となるからだ。
 だが一体誰が、自分の運命や未来が、適当に並べたカードに書かれていると信じられるのだろうか? カードを切り直してもう一度引いたら、違うカードが順番を変えて出てくるのではないだろうか? そうなってしまえば、その人の将来も変わってしまうということかい?
 常識を使って判断すれば、たとえばタロットというものが、ただの遊びに過ぎないことがわかるだろう。カードを並べるだけで、未来を占ったり過去を透視できると信じる人は、ゲームのモノポリーが得意なだけでエコノミストだと思い込んだり、飛行機のビデオゲームが上手いだけでパイロット気分になる人と同じである。
 それゆえ、そのようなゲームと霊性とをごっちゃにしてはならない。根拠のないことを信用してはならないのだ。これらはすべて霊性とは無関係なのだが、しっかり意識していないと虚偽と真実とを混ぜてしまい、迷信と霊性とを見分けられなくなってしまう。

*ごく一部だとしても、言い当てることができて、正しかったとわかるケースはどうですか? たとえば、人の個人的な出来事を詳しく言い当てられる場合は、どう説明できるのでしょうか?
 
 確かに霊媒能力を持つ人もその中にいるのだろうが、その能力を間違って使用しているようだ。霊媒能力というものは、霊的な授かりものであり、いたずらに用いてはならない。利益を目的にすべきではなく、ましてや職業にしてはならない。
 過去を言い当てた時のお客の反応が面白いので、そういうことを生業とする人たちに、進化の乏しい霊たちが寄り付くことがある。その場合は、カードを読んで当てているのではなく、そのような霊たちがお客の信用を得るために、彼らに正しい情報-その全部が正しいとは限らないのだが―を提供しているのだ。
 また、霊媒能力を持つ人の中には、下心があるわけではないのだが、無知であるがゆえに世間のエゴに翻弄されて、自分の本当の能力と俗世間で学んだ技法とを混同してしまっている人もいる。こういう場合は、あまり進化はしてはいないものの、悪い意図を持たない霊たちが介入しやすい。

*占星術、つまり、天体が人生に及ぼす影響についてはどうお考えですか? 星座占いや星座カードは? 生まれた日付けと時間がわかれば、その人のだいたいの性格や、人生で起きる出来事をあらかじめ知ることができるというのは本当ですか?
 
 創造の万物は相互に網の目のように結びついているので、天体が発するエネルギーの光が、他の天体やそこに住む生物に影響するというのは本当だ。そして、地球からの距離によって重力の強さが変わるのと同じように、それらの天体の近くに行けば行くほど、その影響が強くなることも確かである。また、天体の配置によって、特定の霊的な仕事がやりやすくなることもあるので、進化した魂は、霊的次元の任務に取り組むために、より好都合な時期を選ぶことがある。
 しかし、それはあくまでも影響力に過ぎず、決定的な要素ではない。マラソンの選手が、いつも適度な気温と湿気を望むのは、それが、いい記録を残すための大切な条件だと知っているからだ。しかし、いい天気だから良い選手になれるわけでも、悪い天候のせいで劣ったランナーになるわけでもない。天候の及ぼす影響は、選手の記録を調整するのに限られるが、これと同じことが天体についても言える。進化した魂は、生まれる時の天体の配置がどうであろうと進化しているのであり、そうでない魂は、天体の位置が良くても進化した魂にはなれないのだ。
 転生することになる魂の誕生が二週間早まるか遅れるかによって、その人が違う人生を送ったり、異なった性格になるなどということが、どうして信じられるのかね? 魂の人格や成長というものは、無数の転生を経て獲得した霊的な学びの結果である、と何度も言わなかったかね? 人生で出会う試練は、生まれる前に自ら選んで準備をしたもので、それを乗り越えるかは個人の意志次第だと言っているのに、どうして誕生の日付によって、その人の人生の出来事が決まってしまうと思えるのだろうか?
 もう一度、はっきりさせよう。未来は白紙だ。人の未来が誕生日で決定されているのなら、どこに自由意志の余地があるのだ? 二次的なことばかりに注意を向けていると、本当に大切なことを見逃してしまう。

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