2015年2月17日火曜日

27 愛の法則から見た十戒 9

*次の戒律は、「盗んではならない」です。

  そう、人は通常、盗むということを、誰かからその人に属する物的な所有物を無断で取り上げる行為である、窃盗のことだと考える。そのため、スリや、銀行や宝石店などの店舗を襲う強盗などのことを泥棒だと見なしている。
  しかし、ペテン、詐欺、恐喝などで、労働者からその報酬に見合う賃金を取り上げて私腹を肥やす者や、人の損害、苦しみ、欠乏などの犠牲の上に権力や富を貯える者は、司法によってその罪が暴かれることがなくても、実は最たる泥棒なのだと言っておこう。
  したがって、「盗んではならない」という第7戒律は、「偽りの証言をしたり嘘をついてはならない」という第8戒と「人の財産を欲してはならない」という第10戒と共にまとめられる。このどれもに、自己のエゴを満たすために人に損害を与えるという意図があるからだ。そう考えてみると、これらの三つの戒律を一本化して、「エゴに突き動かされて、他者に損害を与えてはならない」という助言にすることができる。

 最も物的なエゴの形態は、強欲、貪欲、野心である。これらのエゴは、他の人に及ぼす弊害には目もくれずに、自己の富と権力の貯財に夢中にならせる主犯である。だが、人間関係のテーマで扱った、執着、嫉妬心、憎悪、憤怒、独占欲、恨み、無念などのエゴ的感情のように、物質主義的ではない他のエゴの形態も、他者を傷つけるものだ。

*他の人に損害を与えずにお金持ちになった場合でも、霊的な負債を背負ったり、「エゴに突き動かされて、他者に損害を与えてはならない」という最大律を侵してしまうことになりますか?
 掟を破ってはいないが、進化した魂ならば、富を欲することもないし、金持ちになろうと時間や労力を無駄遣いすることもないので、大きな進歩を遂げてもいない。進化した魂は、そのような状況には全く惹かれないのだ。
  人に直接的な損害を与えなくても、自由になる物的な富と権力を隣人の支援に使わずに、自分の物欲を満たすためだけに使うなら、成せたであろう多くの善を施さなかったことになるので、他者を助ける好機を無駄にして、自分自身も愛において進歩するチャンスを逃したことになる。ある魂が、公益に役立てるように物的な富を望みながら転生しても、生まれた後でそれを自分のエゴのために使ってしまえば、そのミッションは失敗なのだ。
  いずれにせよ、君たちの世界では、財産を相続するとか宝くじに当たるとかでもしない限り、誰にも損害を与えずに金持ちになることは難しい。君たちの経済や商業のやり方は、最も強い者の理論に支配されているので、そのような好戦的なシステムにおいては、それに毒されずに、善人が成功するのは至難の業だ。


明確に言うと、どういうことでしょうか?

  君たちが資本主義と呼ぶ、地上に君臨する経済システムは、人間のエゴから生まれた制度であり、この戒律とは始終一貫して矛盾しているということだ。なぜなら、それは人間の権利を全く考慮することなく、止めの効かない法外な富の蓄積を追い求め、それを認めているからである。

*僕は経済のことはよくわかりませんが、マクロ経済の指標が多過ぎて、国際経済を推進しているものを理解することは、とても困難な気がします。多くの格差や不正、貧困が蔓延していて、それが益々ひどくなっているように見えますし、今日のような経済危機の時代にはそれが悪化しています。この現状では、人類のより良い未来を垣間見ることは難しく思えますが、どうしたらいいのかもわかりません。
  本当は見かけよりもシンプルだ。全体がとても複雑で、物事がそうなっているのは誰のせいでもないと思わせているのは、君たちに解決策がわからないようにして、責任者を追及できないようにするためだ。
 
  現在の世界の経済システムは、ピラミッド型組織の大企業のようだ。それは、利子が増大してゆく巧妙な貸付制度に基づいており、利潤を得る仲買人の手を得るたびに利子が増える仕組みになっている。そして、一番最後に貸付をせずにお金を借りるだけの者は、借金とその利子とを自分自身の仕事と生産品で返さねばならないので、押しつぶされることになる。このような人が、ピラミッドの底辺にいる大多数なのだが、このシステムは彼らの労力で維持されている。
  残りの者は、何であろうと安く買って高く売ることで儲ける投機市場を創り上げ、高利貸しと投機で生きている。ここで売買される商品の中には、農産物、畜産物、海産物、鉱物や工業製品のような現物もあるが、他のものは株式、証券、投資信託など、「金融商品」と呼ばれる架空の産物である。
  実際には、現状の物事はごく単純である。少数の者が貨幣を造幣する権利を独占してしまっているのだ。つまり、お金を造る機械を持っている、ということだ。ただ同然でお金を生み出すことができ、他の人たちにはそれに利子をつけて貸し出しているので、皆が彼らに借金を負ってしまう。彼らは、安く買い占めて高く売りさばく特権的な情報を常に持っているので、自分たちが創り上げた市場を操作して、皆を思惑通りに動かすことが、このシステムでは可能なのだ。

*このことは、経済危機と関係しますか?
  その通り。経済危機というものは、偶然に起こるものではなく、ピラミッドの頂点から誘発されるものだ。手始めに、多くの人の借金が増えるように、低利子でお金を貸してあげるのだ。ピラミッドの下層にいる人たちには、数段階の仲買人を経た後に、より高利でこの貸付金が回ってくるが、このお金を使って商売をしたり財産を購入したりするので、経済が活性化して消費が増える。
  これがいわゆる好景気に当たる。この時期は、表面的には裕福であるが、すべてが借金で成り立っていて、それに利子をつけて返済しなければならないので、上辺だけのことである。
  上層部の漁師たちは、沢山の魚が餌に食らいついた―つまり、多くの人が借金を背負った―のを見届けると、釣り糸を引き上げて、獲物を収穫する。これは、ある時期に財布のひもを締めて、貸付金の流れを止めてしまうという意味だ。すると、資金が不足する。借り入れをするためには、ずっと高い利子を支払わねばならなくなり、それまでに許与されていた貸付金の利子も高額になる。
  何もかもが、経済活動の妨げとなる。負債者は借金を返済できなくなり、財産を没収されてしまう。国民の生活レベルは顕著に悪化するが、一方で、それまでに貯えられた富はこのシステムを牛耳る者たちの手に渡る。こうして金持ちは益々金持ちになり、貧乏人はより貧乏になる。経済危機はこのようにして起こるのである。

*これには一体、どういう解決策があるのでしょう?
  解決策は簡単なものだ。各人が自分の置かれた立場で、エゴを、つまり貪欲と強欲とを放棄し、分かち合うように努めるのだ。他者を自分自身のように見て、その人の幸福も自分のもののように気にかけてあげることだ。皆がこの一歩を踏み出すならば、世界は瞬く間に変わるだろう。
  現状の経済システムが保たれているのは、人間の強欲や貪欲、野心がふんだんで、愛や寛容が乏しいからだ。ほとんどの人が分かち合おうとしない。多くを所有する者は、自分が持っているもので満足しない。自分の豊かさを持たざる者と分かち合おうとはせず、他の人びとを犠牲にしてでも、それ以上のお金と権力とを、さらに手に入れることを目指す。また、大勢の持たざる者たちも、上層階級の者のように、成功して金持ちや権力者になりたいと望むので、彼らが持てる者の立場になれたとしても、同じことしてしまう。
  それゆえ、上部の者たちを入れ替えるだけでは、不充分である。我々全員が本当は霊的な存在で、同じ霊的進化の道を歩む仲間であり、愛を体得して幸せになるという目標を共有し、そのために互いを必要とし合っていると認識できるような、人類全体に及ぶ集合的な意識改革が起こらなければならない。
  富を溜め込んでも幸福になる役には立たないが、生きるために必要なものがなければ苦しむことになる、と気づくことが肝心だ。こうして、豊かにある物を分け合えば誰も損はしないし、皆が恩恵を受け取ることになる。だが繰り返しになるが、そのためには富の蓄積を放棄し、分かち合おうとしなければならない。


*素晴らしい展望ですが、まるで夢物語です。もっと具体的な対策があるべきだと思います。

  対策の処方箋を望んでいるとしても、そんなものは存在しない。エゴを放棄して分かち合いで兄弟愛に努めようとする、人間の意志と善意次第だからだ。そういう協力精神がない限り、すべての努力は水の泡だ。愛に基づく社会変革を実現したいと大多数の人たちが願い、それが根付くように精力的に協力してくれねばならない。強制によってや、全般的な協調がないならば、何も成し得ないからだ。
  指導者には、霊的に高度の許容力を持つ人たちを選ぶ必要がある。愛に満ち、謙虚で、寛大で、貪欲・強欲・野心を一切持たず、状況を把握していて、公共の益・社会の正義・富の公平分配を促進する方策を採る用意がある人たちだ。そういう人たちならば、その場その場で、するべきことがわかるであろう。
  大至急すべきことの一つに、高利貸しと投機で成り立つこの経済システムを解体し、利己的な手口が世界に再臨しないように見張って防いでくれる、正義感のある公平な法を制定することがある。したがって、「エゴに突き動かされて、他者に損害を与えてはならない」という戒律は、「公共の益・社会の正義・富の公平分配を促進せよ」補完されることになる。